日本人が言う「おもてなし」って何だ?

 先日、新大阪駅の地下で食事をしたときの出来事。その飲食フロアでは、各お店にトイレは設けられておらず、フロアにある共用のトイレを使うようになっていた。ので、食事をしている人は、一度店を出なければならない。で、僕は店を出て、案内矢印の方向に従ってトイレにむかった。少し離れた場所まで進み、本当にこっちで合ってるのかなと不安になりかけたときに、音声ガイダンスが聞こえてきたわけだ。「トイレはこちらになります。右側が男性用、左側は女性用……」とかいうやつ。ふむ、こっちで合っていたかと安心するやいなや、次の瞬間ひどくがっかりしてしまった。その音声ガイドが一通り喋り終わり、しばしの空白のあとに、また「トイレはこちらになります。右側が男性用、左側は女性用……」と日本語で繰り返したのだ。僕が思ったのは、また日本語かよ、英語では案内しないんだ、ということ。


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 しばらくの間だが、僕が海外で仕事をしていて一番安心した瞬間というのは、街やお店で日本語が通じるとわかったとき。間違いなくこれが一番安心できた。また、随分前にはじめての海外旅行でアメリカのシアトルに行ったとき、空港から最初に乗った地下鉄かモノレールで日本語のガイダンスがあったときの安堵感は今でも覚えている。世界共通語ともいえる英語ですら、ろくすっぽわからない僕のような人間でも、アメリカに受け入れてもらえているという感動すら感じた。さすがアメリカは寛容だと。はじめての海外という不安も、なんとかなりそうだと、かなり和らいだ。


 実は、海外に足を伸ばすツーリストにとっての一番のおもてなしって、彼、彼女が理解できる言語で出迎える、案内することなんじゃないのかなと思うわけだ。笑顔とか親切さ丁寧さなんて、必要ないと言い切れるほどだ。そもそも言葉が通じないのに、お互い笑顔になんてなれない。否、英語ができないというコンプレックスがある人間が、英語で話しかけられたときに、「I cant speak English」と、丁寧に返答なんてできるはずがない。せいぜい「No...」と言って逃げるのが関の山だ。それなのに、日本人が世界にむかって「おもてなし」なんてでかいこと言ってて良いのかなと思ってしまう。現に、日本ナンバー2の大都市、大阪ですら、トイレの案内に日本語しか用意してないわけだし。誰をもてなそうとしているだと。


 日本人として日本で生活していると、同民族の同言語で無宗教の人間とだけ上手にやってれば良いわけだけど、それってオリンピック招致だなんだと世界基準で考えると絶対時代遅れだよね。外国人に対する本当のおもてなしってのは「ベンジョナラ、アッチダヨ」程度の言葉でいいから、喋ることがでて、話を聞いてあげることなんだと思う。今、日本人が言っている「おもてなし」って、日本語ができる人に限るもののようで、なんだか残念な気がしてならない。