折り返し点とは本当だったのか?

 毎年この時期に、今年の漢字、個人版」を考えている。何気に僕の中では、毎年楽しみにしている行事ごとの一つだ。世の中の「漢字」はコレ、そして自分はコレ、みたいに。が、今年ほどパッと思いつかない年もこれまでなかったように思う。なんかモヤモヤしてるのだ。だったら「モヤモヤ」を表す漢字にでもしようかと思ったか、それも安易過ぎるし、そもそも「モヤモヤ」を表す漢字を探すという行為自体が考えただけでも気が滅入って、余計モヤモヤしてしまう。ということで、まずはこれまでの「漢字」をまとめてみる。世の中の「漢字」と僕の「漢字」だ。

世間
2006年 -自殺の多発、医師不足問題
2007年 -食品表示偽装、年金問題
2008年 -米大統領の「チェンジ」
2009年 -民主党新政権の発足
2010年 -記録的猛暑
2011年 -震災、台風被害からの教訓
2012年 -五輪、ノーベル賞等の金字塔


 今年の僕の漢字として、とりあえず頭に浮かんだのは、混乱/混沌「混」、戦争/戦闘の「戦」、停滞/停止の「停」……。いずれにせよ、あまり明るいものではない。おそらく下半期の印象が強く影響しているのだろう。じゃあ2012年の上半期はどうだったかを思い返して見ると、35歳を迎えるにあたって「人生の折り返し点」ということを強く意識してたことを思い出した。そこで「折」とか、過渡期という意味合いでの「過」「渡」「通」など、受け渡したり、通り過ぎたり、まあニュアンスとしては、この手の漢字が今年の僕を表しているのかなという小さな手応えのようなものを感じた。


 しかし自分の中で、折り返し点を意識した割には、僕自身特にこれといって何も変わってないような気もしている。よくよく考えていると、大きく変えたことはお酒を止めた(極端に減らした)ことくらいで、まあそれくらいじゃ人生に大きな影響など出ない。所詮アルコールなど数ある飲み物の中のひとつに過ぎないのだ。そしてお酒以外に、折り返し点ということで何かを実践したことはこれといってない。そのへんでの肩透かしをくらい、夏場過ぎからはどこかマンネリな生活になってしまったのかなとも思っている。実際に35歳を迎えた9月の誕生日もこれといった思い出がないし、何かを固く決心したとか、決意を新たにして武者震いしたとか、具体的に生き方のスタンスを変えたりはしなかった。折り返し点だと決めていたにも関わらず。


 そこまで考えて、ふと思い浮かんだのが、「途」。途中の「途」だが、漢字自体には、「道すじ」「道のり」という意味があるそうな。


 折り返し点といえども、結局これまで通りの「道」を歩いたり走ったりしていかなければいけないわけだ。そこにはっきりとわかる目印があるわけでもなく、ましてや赤く大きなコーンが置いてあって「折り返し」と書かれているわけでもない。あくまで比喩の話だ。この架空の設定に、過度な何かを期待した自分が甘かったのかなとも思ってしまう。人生の折り返し点となる1年だから、何かあるだろうと。しかしそんなものは自ら積極的に変えていかない限り何も起こらないわけだ。


 2012年の最後になって、まだまだ自分の考え方が、発展途上であることに気づかされたようだ。ということで、今年の僕の漢字は「途」

◆朝日新聞デジタル:今年の漢字は「金」 京都・清水寺で発表 - 社会 (2012.12/12)


 2012年の世相を表す漢字は「金」――。日本漢字能力検定協会は12日、全国から公募した「今年の漢字」を発表した。世界遺産の清水寺(京都市東山区)で森清範(せいはん)貫主(かんす)が縦1.5メートル、横1.3メートルの和紙に墨で書き上げた。
(後略)