又吉直樹著『火花』を読んで

 ご存知芥川賞受賞作品。iBooksにて購入し、読了した。賛否両論あるが、僕は想像以上に楽しめた。


 で、まあ僕も「純文学とは何か?」を語れるほど読書通ではないのだが、これほどストレートに「純文学」と言える作品はなかなかない、というか、あったとしても、久しぶりに出逢えた感じがする。とにかくストレートなのだ。もちろん、テレビでよく見る人というアドバンテージはあるのだろうけど、ここ数年の芥川賞作品の中では格段に読みやすかったし、奇をてらった切り口でもなければ、手垢のついたようなありふれた展開でもなかった。落選作を読んでないので、なんとも言えないが、これが芥川賞ですと言うのであれば妥当なのじゃないかと思う。ただ、誰かが指摘したように、じゃあ本屋大賞とどう違うのかと問われると、そこは僕にもよくわからない。でもまあとにかく、読みやすくて、楽しめたことには変わりない。


 とある売れないお笑い芸人が、その先輩芸人とつるんでいる日々を描いた物語。鳴かず飛ばずの芸人が持つ葛藤や、誰の日常でもあるどうでもいいことが丁寧に表現されている。僕自身、バンドを組んであーでもない、こーでもないと、足踏みしていた時期と重ね合わせることができたので、共感できる部分が多かった。その中で、画面キャプチャーを撮って、EVERNOTEに保存したのは、以下の一節。無駄なことに時間を費やしてきた人、大きな寄り道をしてきた人にとって、何度も読み返し、自分に言い聞かせたくなるパラグラフだと思う。

 必要がないことを長い時間かけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するとういうことだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。


 あと、今リンクをはって気づいたのだが、書籍を買うと税込み1,296円もするようだ。しかも、これだけ話題になったからだろうけど、在庫切れで入荷は8月だとか。iBooksでは1,000円だったし、データだから在庫切れなどもない。「本」として購入する意味がどんどん薄れていくなと思った次第だ。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼を師と慕う後輩徳永。笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!「文學界」を史上初の大増刷に導いた話題作。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
又吉直樹(マタヨシナオキ)
1980年大阪府寝屋川市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人。コンビ「ピース」として活動中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

映画「イニシエーション・ラブ」を観て

 金沢に帰省していたとき映画館で視聴。上映の最後の日だった。


 で、この話は、去年の秋に小説で読んで、いたく感銘を受けたのだが、映画化されると聞いて、果たしてそんなことが可能なのかと、期待半分、余計な心配半分な気持ちになった。原作は、映像がないからこその「仕掛け」が肝になっている小説だからだ。また、主演が前田敦子と聞いて、いやいや違うだろと。完全にミス・キャストだろうと。まだAKB繋がりなら、大島なんちゃらとか篠田かんちゃらの方が原作のイメージに近いんじゃないかと文句を言いたくなったことを覚えている(というか、実際に言っていたのだが)。


◆乾くるみ著『イニシエーション・ラブ』を読んで


 で、映画である。まあ、開始1分で、「あ、なるほど、これは期待できる」と、「仕掛け」に関しては期待に応えてくれるような気がした。で、次なる不安材料、前田敦子なのだが、実は事前にいつくかのレビューに目を通しており、意外にも彼女の演技、存在は好評価だったのだ。それに引っ張られる部分もあったのか、映画が進むにつれ、自分も前田あっちゃんはアリに思えてきた。というか、映画化にあたって、あっちゃんの存在感に寄せた演出をしたのか、それが彼女の演技力の成せる技なのか定かではないが、すこぶる自然にその役をまっとうしていた。良い意味での裏切りだった。また、僕の場合は、小説を読んだあと解説サイトを探して、「どういう仕掛けがあったのか?」を細かく確認したのだが、映画化にあたって、そういったネタバレ解説も盛り込まれていたので、まだ小説を読んでいない人も充分楽しめる。もちろん小説を先に読んで、映画でおさらいするってのもアリだろう。まあ現代っぽい「ゆとり」な解説をしてもらえるわけである。


 ということで、小説、漫画の映画化は、高アベレージでがっかりするというジンクスを見事打ち破ってくれた作品と言って良い。まあどの映画館でももう上映はしてないだろうけど、いつか観るチャンスがあるなら、観ておいた方が良いと思う。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
僕がマユに出会ったのは、代打で呼ばれた合コンの席。やがて僕らは恋に落ちて…。甘美で、ときにほろ苦い青春のひとときを瑞々しい筆致で描いた青春小説ーと思いきや、最後から二行目(絶対に先に読まないで!)で、本書は全く違った物語に変貌する。「必ず二回読みたくなる」と絶賛された傑作ミステリー。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
乾くるみ(イヌイクルミ)
1963年、静岡県生まれ。静岡大学理学部数学科卒業。98年『Jの神話』で第4回メフィスト賞を受賞して作家デビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

「ラッシュアワー」を観て

 1999年日本公開作品。僕が東京に上京して、生活にも慣れてきた頃、この映画の宣伝を頻繁に目にしたことを覚えている。ジャッキー・チェンとか懐かしいな、とか思いながら。そういうわけで興味はあったのだが、その当時もまだドラえもん以外の映画を映画館で観たことがなかったわけで、多分映画館でどうやったら映画を観ることができるかわからなかったので、行かなかった。で、今になって初視聴。


 で、僕はずっと勘違いしてたみたいで、ジャッキーの相棒になる黒人をエディ・マーフィーだと思っていたが、クリス・タッカーという俳優さんだったようだ。全然知らない人だったが、コミカルで良い意味で黒人っぽい大雑把さが心地よかった。また、ジャッキーの相方として、サモ・ハンでもユン・ピョウでもないという部分に新鮮味があったし、噛み合ってなさそうで噛み合っているという掛け合いが観処かと。ので、ジャッキー好きであれば、観ておきたい。ポリス・ストーリーやプロジェクトAでは観られなかった、アメリカ版ジャッキーを観ることができる。


 内容は、アメリカにて誘拐された中国総領事の娘を助け出すといったストーリー。中国(香港)から派遣されたジャッキーと地元の市警のクリス・タッカーが、まあ自由奔放に犯人を追いかけるといったもの。ユーモアもあるし、アクションもまだまだ健在で、物語もしっかりしている。ただ、残念なのが続編もあるようだが、Huluには登録されていないようだ(でもGoogleで検索するとリンクが出てくる)。ゴールデン洋画劇場などで放送される日を待つことにしよう。


【ストーリー】
片やしゃべりっぱなし…片や暴れっぱなし! ジャッキー・チェン(『レッド・ブロンクス』『ファイナル・プロジェクト』)とクリス・タッカー(『ランナウェイ』『friday』)競演、パンチとギャグが飛び交う、痛快アクション・コメディー。文化摩擦あり、感情の爆発あり。言葉も習慣も違う世界からやってきた2人の刑事。互いの共通点は、コイツと組むのはまっぴら御免ということだけ。犯人逮捕のために残された時間はわずか。ひとまずここは取っ組み合いを止めて、2人の力を合わせるしかない!
【解説】
東洋一、手が速い男。ミーツ 西洋一、口が減らない男。“本年度ベストのアクション・コメディー!"“この映画、タダモノじゃない!"

休みの日にHuluでジャッキー映画をはしご

 観た順にでも紹介。


 まず2010年の作品「ダブル・ミッション」。まあ最近といえば最近の映画。で、当然と言えば当然だし、致し方ないと言えば致し方ないのだが、アクション・シーンがパンチ力に欠けていたことは否めない。あと、途中何カットかCGを使っていることに、がっかりしてしまった。ああ、ジャッキーもCGを使うのねと、なんだか「昔は良かった」的な哀愁にふけってしまった。まあ、今どき、映画で実写にこだわることの方がナンセンスだろうけどね。内容は、ジャッキーが、スパイとしての任務と、1人の男として子持ちの女性にプロポーズするという2つのミッションに挑むというストーリー。どちらかというと、3人の子どもに気に入られようとするプライベートな方のミッションに重きが置かれているようで、薄味になったアクション・シーンよりかは、子ども心を掴もうとする人間ドラマの方が観処になっている。舞台はアメリカ、セリフも英語。だから、ソファーに深く座って、ゆったり観る仕上がりになっている。まあ悪くなはいかと。


 次に「サイクロンZ」。1988年の作品。最近の作品のあとに観たためか、非常にジャッキーらしいという印象。サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウも登場し、こちらは前のめりになって観る映画だ。ただ、ジャッキー映画の特徴なのか、当時の香港映画の特徴なのかわからないが、オチが非常に大雑把で、ドカーンと悪役倒したと思ったら、エンド・ロールが流れてくるみたいな終わり方で、物語的に後始末してないと感じる節もある。ので内容としても、悪役を追いかけて、やっつけるといったものなのだが、今作に関しては恋愛色も中心に添えられている。


 そんで「香港発活劇エクスプレス 大福星」。1985年公開作品。最後のクレジットで気づいたのだが、どうやらサモ・ハン・キンポーが主演、監督で、ジャッキーは脇役のようだ。どうりで、中盤まったくジャッキーは登場しないし、ユン・ピョウに限っては都合10分も登場してないくらいである。そもそも「ジャッキーが主役」と勘違いしてたせいもあるのだろうけど、シナリオ的に、間が悪いというか、リズムが単調というか、間延びしていて退屈なシーンが多かった気がする。また、映画のスタート早々、日本の富士急ハイランドの観覧車でのアクロバティックなシーンがあるが、何事もなく、次のシーンへの繋ぎみたいな格好で進んでしまったりもする。ここはもっと時間をかけて、演出もくどくしても良かったんじゃないのかなと思うだが。まあ個人的には、少々イマイチ。


 途中、「ラッシュアワー」も観ているのだが、その感想はまた今度。

「ショーシャンクの空に」を観て

 Huluで視聴。ミスチルの楽曲「one two three」の歌詞にも登場する映画だし、そこかしこで評価が高いという話を聞いていたので、昔からいつか観たいなと思っていた。しかし、その後気づくのだが、原作はスティーブン・キング刑務所のリタ・ヘイワースだとか。なんか聞いたことあるなと思い返すと、スタンド・バイ・ミー新潮文庫)を読むために買った文庫で、一緒にあったもう1つの話の方だった。というか、正直、お目当てじゃない方の、よくわからないタイトルの作品の方がおもしろかったなという印象が当時あった作品だ。つまり、「刑務所」という辛気臭いワードがありながら、「リタ・ヘイワース」って誰だよという、よくわからない人物名もあって、このタイトルのせいで、中身のおもしろが半減した印象になってしまったことは間違いない。


 だから映画化にあたって、「ショーシャンクの空に」というタイトルに変えたことは大正解だっただろう。「ショーシャンク」ってどこだよと思ったとしても、「空」という単語で締めていることから、なぜか勝手にドラマチックな想像をしてしまう。大御所キング先生には悪いが、今からでも小説の方も、「ショーシャンクの空に」というタイトルに変えても良いんじゃないかと思うくらいだ。まあ、英語じゃ、それぞれのタイトルがどういう印象になるのかわかんないんだけどね。


 日本では1995年公開。刑務所の中の囚人たちを描いた物語なので、どんなタイトルであったにせよ辛気臭い内容。基本的には誰もお世話になることのない刑務所という場所を舞台にしているのに、おおいに感情移入してしまえるのは脚本力なのだろうか。ましてや登場人物も、ほぼすべて男のみ。映像としては、2時間半、まったく花がないわけだ。昔、韓国の軍隊が孤島で訓練をするという、軍人寮を舞台とした男臭い映画があり(タイトル忘れた)、それですら終盤にレイプされる役として女が登場したくらいだが、「ショーシャンク~」では、スーパーマーケットのシーンでおばちゃんがチラチラと映るくらいで、あとは完全なるおっさんの世界である。つまりは純粋な「物語」としてのパワーが半端ないわけだ。妙な推理や伏線もなければ、自分の生き方を見直すような教訓めいた内容もないのだが、その世界感に引き込まれてしまう。原作もそうだったが、とても「不思議」な魅力を感じる話である。おすすめ。


【ストーリー】
ショーシャンク刑務所に、若き銀行の副頭取だったアンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)が、妻と間男を殺害した罪で入所してきた。最初は刑務所の「しきたり」にも逆らい孤立していたアンディだったが、刑務所内の古株で調達係のレッド(モーガン・フリーマン)は彼に他の受刑者達とは違う何かを感じていた。そんなアンディが入所した2年後のある時、アンディは監視役のハドレー刑務主任(クランシー・ブラウン)が抱えていた遺産相続問題を解決する事の報酬として、受刑者仲間たちへのビールを獲得する。この一件を機に、アンディは刑務所職員からも受刑者仲間からも、一目置かれる存在になっていく…。