映画「永遠の0」を観て

 たしか2013年12月公開の映画で、前々から気にはしていたのだが、今になってやっと観ることができた。


 原作は2009年に発売され、僕が文庫を読んだのは2010年8月。名作の一言につきる。僕がどうこう言うより、毎年夏に書店に行くと必ずと言っていいほど、大々的に平積みされているのをみればわかるだろう。定期的に書店に立ち寄る人間なら必ずどこかで目にしているはずである。いわゆる戦争ものの話だが、戦争で死んだ祖父がどういった人間だったのかをたどっていくことで物語が展開していくため、家族がテーマになっているとも言える。小難しい歴史的事実や精神論も出てこないので理解しやすい設定で、誰が読んでも、心が揺さぶられる。


 で、原作で感動した作品は、例外なく映画化でがっかりするというのが僕の持論なのだが、これはまったく違った。映画館でこれほどまで泣いたのははじめてというくらい涙が出てきてしまったのだ。映画化するにあたっての脚本の調整(余計な部分が付け足されたり、重要な部分が端折られたりというやつだ)も申し分ないし、何よりキャスティングも良かった。気になる人は観てほしいし、小説は良かったんだけど映画はどうなんだろう……、と二の足を踏んでいる人も急いで観ておくべきだ。もうすぐ上映も終わるだろうし。


 小説とは違い、映画として、映像として観て、心に残ったのは「空」のシーン。ゼロ戦に乗って空を舞台に訓練、戦闘しているシーンがいくつか登場する。で、そこで思い出したのが、ちょうど先日僕が飛行機で東京に飛んだこと。僕も世間一般の凡人と同じく、飛行機の窓から外を眺めるのが好きである。ミニチュアの様な街の中を蟻のように動く車を空から眺めていると、現実と非現実の間に挟まった妙な心地よさを感じるわけだ。僕は「空」や「雲」をポジティブな意味合いでしか感じたことがなかったが、数十年前、戦争をしている時代では、空は厳しい訓練の場であり、殺し合いの場でもあった。このギャップに考えさせられるものがある。空というものが、人間の憧れや自由の象徴とは程遠い「現場」であったということ。今後、飛行機からみる「空」というものの捉え方、考え方も変わるかもしれない。


 ちなみに原作者の百田尚樹さんは、大のクラシック愛好家でもあるらしい。先日ラジオを聞いていたら、とあるコーナーのゲストが熱くクラシックの話をしていた。ので、僕は最初クラシック関係のゲストなのかなと思っていたのだが、最後まで聞いていると、この「永遠の0」の原作者だったわけだ。本業だけでなく、幅広い趣味や得意分野を持つ人ってのは憧れてしまう。中日ドラゴンズ山本昌のように。


◆映画『永遠の0』大ヒット上映中!