過去に理想像を求めないこと

 ラジオで聞いた話だが、今では、携帯で写真でも動画でも撮ることができ、そしてそれらをいつでも見ることができると。メールにしても同じく、いつでも読み返すことが可能。こういったことから勝手に思いを募らせて「ストーカー」みたいな人間(感情)が生まれるんじゃないかと述べていた。まあ確かにその通りで、自分の手元に「理想像」があるということは、多くの錯覚を生み出すように思う。過去と現在がごっちゃになるのだ。


 そういう意味で、このブログというものもやっかいな存在であるような気がする。たまに何かの待ち時間などで暇な時間ができると、自分の書いた過去のエントリーを読み返してみたりするのだが、どういうわけか、「昔の方がおもしろいこと書いてたな」というような感想を持ってしまう。もしかすると過去の自分を美化しているきらいがあるのかもしれない。そうすると、どうしてもこの先、どういう文章を書いていいのか迷ってしまい、次の一歩が踏み出せなくなるのだ。とても煩わしい。


f:id:junichi13:20080629085421j:plain


 僕は昔から「色褪せない思い出」みたいなのが好きじゃないのだが、もう今の世の中、思い出がすべてデジタル化され、手元に残るようになっている。でも思い出は、色褪せてある程度は忘れていってしまうのが健全だったりするうんだろうなと思ってしまう。ブログも吐き出す一方で、読み返すようなことはきっぱりやめたほうがいいのかもね。まあ無理だろうけど。