ヒステリック

 休憩時間中に何気なくテレビを見ていたら、映画「八日目の蝉」が放送されていた。別に観るともなくテレビを眺めていたのだが、なかなかおもしろく、興味が惹かれたので文庫本を買うことにした。もちろん映画版は全部観ることができなかったので、続きは原作書籍で楽しむことにしようと思う。


 で、有名な映画ではあるのだが、最初は正直眠かったので、別に映画など観ずに居眠りをしようと思っていた。しかし、赤ん坊が泣くシーンで、どうも気になって眠れず、しぶしぶ続きを観ることにしたのだ。というのも、なかなか子供が泣き止まないので母親がヒステリックになるといったような演出だったためだろうが、非常に長く、しつこく赤ん坊の泣き声が続く場面だった。僕はもともと子供が苦手ということもあってか、このシーンに関しては、非常にストレスを感じたわけである。原因がはっきりしないストレスほど不快なものはない。だからテレビに向かって「うるせー!」と怒鳴りつけたくなるくらいだった。


 で、そこで思ったことが、僕くらいの年齢になっていれば、ほとんどの人には、赤ん坊の泣き声というもの対し「我が子の泣き声」という新しいオプションが加わっているはずである。そして、その「我が子の泣き声」というものにおいては、幸福感や愛おしさを感じたりもするのだろう。僕は、子供の泣き声に対しては、経験値的にネガティブなものしか持っていないため、こういったシーンを観ても、感じるものも狭いものになっているのかなと思ってしまったわけだ。まあそんなことを考えながら続きを観ていると、なかなかおもしかったというわけなのだが。


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 この映画が上映された当時、僕がよくチェックしているブログで、「しかしまあこれほどまでに母親の愛情というもは強いものなのか」というような感想が書かれていたことを覚えている。その人も、確かそのとき父親になったばかりで、「子供に対する無条件の愛情というものがあることは、自分の体験を持ってわかったが」という前置きをして「しかし、父親である僕が、この映画で出てくる母親のようなことを子供にしてあげられるかは疑問」と。まあともかく、続きはまた文庫を読んでから感想を書いてみようと思う。ドラクエの合間の読書なので、時間がかかるだろうけど。