あー、夏休み

 23歳か24歳くらいのとき、もうバンドをやめて、普通の会社で働いていたときに、ふと「8月の最中に建物の中に閉じこもって、仕事してるってなんなんだろ?」と思ったことを、毎年のように思い出す。つまりもう「夏休み」というものがなくなってしまったことを自覚した瞬間のことだ。確かに建物の中だとクーラーも効いていて快適で過ごしやすい。でも、100%快晴の空と蝉の声から隔離された場所に居ることの方が人としての不自然さを感じてしまったわけだ。とはいえ自分の親なんかも、自分が夏休みだと言ってる間、普段と何ら変わりなく働いてたわけで、これがごく一般的な大人の生活なのかと気づくと、ぞっとした。人間が生きていこうと思うと、ここまでしてお金を稼いでいかないといけないんだと、ある種の恐怖を感じたくらいだ。あー、厭な世界に足を踏み入れようとしているなぁと。


 で、その後知ったのだが、学校の先生なんかも、夏休み中は普通に学校に来るような勤務が割り当てられており、生徒と同じような「休み」があるわけではないそうだ。まあ当たり前なんだけどね。つまりは、世の中の「夏休み」なんてものは、非常に限られた人にしかもたらされていないことになる。


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 と、ここまで書いてふと気がついたのだが、普通の大人にだって1週間程度の「夏休み」くらいあるわけだ。盆休みも正月休みもない、今の自分の生活が異常なだけなんだよね。まあ愚痴ってもしょうがないんだけどさ。


 で、ともかく僕がどうして夏休みもない大人の生活にげんなりしたかというと、もちろん単純に「しんどい」ってこともあるけど、「夏休み」という大きな生活の変化がなくなったことに対しての抵抗感だったのだと思う。旅行はもちろん旧友と集まる機会なんかも、多くの人間がまとまって休んでいる時期だからこそできるわけなので、そういう期間が減ったことに非常に違和感を感じた。これから先の生活は非常に拘束されたものになるなと。


 だからこそ思ったのだが、「高学歴の世界」の人間ほど、「休み」を非常に有効に活用している気がするし、その「休み」を満喫するために、普段の生活にもちょっとした努力を盛り込んでいる気がする。一緒に話しをしてておもしろくない人って、やっぱり「閉じこもっている人」なのである。活動している範囲が家と職場くらいで、情報インプットはテレビくらいって人。かつて僕が真夏の最中に、外にいないことに対しての嫌悪感もここにあったわけだ。夏くらい外に出るべきだろうと。特に東京だと、ぶらぶら歩いているだけでも、いろんな刺激があるわけだし、どこかしらでイベントやお祭りが催されている。そういった人が集まるところに行きさえすれば、何かしら自分にとってのプラスが得られて、一つひとつの発言にもユーモアやウィットが加わる。社会で働く人となったからには、こういったチャンスは減ってしまうのだが、絶対にゼロにしてはいけないことだろうと思う。


 まあともかくね、休みがあろうがなかろうが、いろんな場所に出て、いろんな人に出逢うことって大事なわけだ。家でゲームばかりしててもしょうがないってことだよね。