大人の話

 随分幼い頃、正月に親戚一同でテレビを見て、きゃっきゃと笑っていたことがあった。いわゆる、クイズのボケ回答のような場面。問題「コトワザで【鬼に○○】なんでしょう?」タレント「【鬼に綿棒】ですかぁ?」大爆笑、みたいな。僕もそれを見て、絶賛大爆笑していた。「バカだあいつ!」みたいに。


 すると、あるおじさんが「こんなバカな回答、本当にそう思ってるわけがない! わざとバカな回答をして笑ってもらってるだけだ! わざと変なことを言っているのだ!」とぴしゃりと不機嫌そうに切り捨てた。正論なのだが、小学生くらいの僕には理解できない夢のない話で、どうしてこんなひどいことを言うのかとショックを受けた(せっかく大爆笑しているのに)。この覚めた発言に、僕まで不愉快になったということで、今でもしっかり覚えているくらいだ。テレビに映っているものが視聴者を楽しませるためだけのつくられた世界であることなど知る由もなく、すべてガチで起こっていることだと信じて疑わなかった頃である。


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 その後何十年も経って、この場面もしょっちゅう思い出す。テレビに限らず、世の中のすべての事柄、他人との関わりが生じるあらゆる場面で、みんなわざとらしい演技をしているからだ。おもしろくなくても上司の前でわざと笑ったり、用事がなくても部下にわざわざ質問したり声を掛けたり、アドバイスをもらいたいときはわざと間違えてみたり、褒めてやるときはわざと大袈裟に驚いてみたりとか。計算して、わざとなにかをするってことばかりだ。正直に生きることほど手際の悪いものはない。


 まあ別段、新しい発見でもないのだが、僕が言いたいのは、小学生のときのどうでもいいようなエピソードの中で、世の中の真理に出会えていたということ。そして、そのときは不愉快に思っていたけど、今となっては非常に参考になる発言だったと見方が変わっていること。まあ大人の話、目上の人の話ってのは、そのとき理解できなくても、いつかわかる日が来るってことだろうか。だから、今でも身のまわりにはストレスの溜まる発言ばかり溢れかえっているが、その意味がしっかりわかるようになると信じるようにしとこうか。