東京にないもの、あるもの

 久しぶりに東京に行って、1人でぶらぶらと時間を過ごしたのですが、ふと気づいたことがありました。それは、1日目の17時から前職の仲間と新年会を催し、一旦解散後、2時くらいまで下北沢の飲み屋さんでぐだぐだと過ごし、3時くらいにカプセルホテルで眠りにつき、翌日、9時までという朝の食事の時間ギリギリに合わせて無理やり起きて、当たり障りのないパンとスクランブル・エッグを口にして、お昼の待ち合わせまでスターバックスのようでスターバックスではないコーヒー・ショップで時間を潰しているときのことです。時間はまだ10時過ぎといったとことでしょうか。僕は2階から、外が見えるテーブル席に1人で座って、『吉祥寺の朝比奈くん』を読みながら、たまに外を眺めては、思いついたことをメモしたりしていたときのことです。


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 確かに昔から、薄々勘付いてはいたのですが、東京というと、あっちに行ったりこっちに行ったりと、歩いてばかりいるような印象があります。こんなに移動しているわりには、何もないのではないか。費用対効果が悪すぎるのではないか、と。今回1人で東京に居て、結構な待ち時間があったのですが、特に行きたい場所も買いたい物も思いつかなかったのです。いくら東京だって、目新しいスポットや名所がぽこぽこ生まれているわけではないし、買い物なんてネットでたいていのことは済ませられます。東京に居るからやっておかなければならないことなど、特に思いつきませんでした。


 では、東京ってナンなのか。どうして日本の中心であり、経済や文化や流行や活気のど真ん中にあるのか。――それは単純に人がたくさん居るからなのではないでしょうか。


 僕にとってみれば、長い付き合いの知り合いが多く居るだけのことなのかもしれません。今回だって、東京に居る知り合いのコミュニティでイベントがあったので上京し、ついでにその他のグループの知り合いとも逢う約束をしたわけです。


 東京を東京たらしめているのは、場所ではなく、人。別に東京には行きたい場所も買いたい物もないのです。でも、人と逢うには、東京に行かなければいけない。だから、東京にはそれ相応の価値があると僕は思えるのです。


 東京と田舎の比較というのは、いろんな切り口で語られますが、僕にとっての一つの答えというのは、「人」なのかなと感じています。