第92回河北潟一周駅伝競走大会

 去年に引き続き、勤労感謝の日に、河北潟一周駅伝ってのに出場しました。そして去年に引き続き、説明しておきますが、この駅伝大会を語るときは、「日本最古」「日本でもっとも長い歴史を持つ」という枕詞が必ずついてきます。そうです、河北潟一周駅伝競走大会は、日本一の駅伝大会なのです(公式ホームページはまだありませんが)。


 実質は第2位、しかし日本国民の99.9%が「一番」と誤解している、お正月の風物詩箱根駅伝は、1920年に第1回大会が開催され、戦中計4回の中止を挟み、今年2012年に88回大会を終え、来年2013年に89回目大会を予定している駅伝です。一方、おらが町の「河北潟一周駅伝」は、箱根駅伝同じく1920年に第1回大会の号砲を轟かせ、戦中1度だけ開催を見合わせたとはいえ、病めるときも健やかなるときも毎年毎年誰かが誰かに襷を渡し続けて、皆様のおかげで今年で92回目の大会を開催するに至りました。そうです、箱根はまだ90回大会をむかえてもいませんし、90回を語るにも及びませんが、河北潟は優に90回を超えているのです。ですから、「河北潟一周駅伝」を語る際には、「日本最古」「もっとも長い歴史を持つ」という冠を必ず忘れないようにしてください。たとえ、河北潟がどこにあるか知らなくてもです。


 そして、この大会の大きな特徴は、運営がファジーであるということに他なりません。


 ただし、僕も今年は2回目です。ちょっとやそっとじゃあ、腹を立てません。むしろ、それもひっくるめてエンジョイしてやろうという気持ちで大会に望む心構えでいました。



 ちなみに、昨年僕らは11人での出場でしたが、今年は2チーム出場することになり、つまりはチームメンバーが22人、AチームとBチームに分かれて走ることになりました。僕はBチームの2走です。ということで、Aチームの第2走者と一緒に、2走のスタート地点まで送ってくれるバスに向かいます。まず、ここで試練があります。


 最終的に僕らが乗ったバスは4号車というバスでしたが、そもそも開会式がはじまる直前に「早くバスに乗りなさい!」と拡声器で怒鳴られて外に出たのです。それでいて、なんの案内もなければヒントもなく、第2走者なのに4号車に乗ることを見つけ出すことは容易ではありませんでした。しかも、雨の中。とりあえず手前のバスから順番に「ここは第2走者のバスですか?」とバスの運転手に訊くのですが、極端に大きい声か逆に極端に小さい声で「知らない(オレに訊くんじゃねえよ)」と返答されます。確かにバスの運転手は雇われで、運営のことは知らないのでしょうが、自分のバスが誰を乗せてどこに行くかくらいは知っておいてほしいです。


 それでもなんとかバスに乗り込み座っていると、点呼係のスタッフが「では、2走と4走のそろったチームは返事をしてください」とマイクロフォンで案内してきます。当然、僕らは、そのときはじめて、2走と4走が一緒のバスに乗ることを知りました。知ってたら4人一緒に行動してるよ。あげくAチームもBチームも4走は「監督」の人間なので、別途監督打ち合わせ出ていました。つまりは、開会式と監督打ち合わせとバスの出発が同時に進められているとも言えます。もしかしたら、超効率的な運営で、僕らがボンクラなだけかもしれません。


 とはいえ、よくよく考えてみると、送迎バスのわかりにくさには理由があります。


 というのは、この大会は35.7キロの6区間を6人で走るというのが基本となっています(一般の部と高校生の部)。しかし、同じ35.7キロを11区間に分けて11人で走る第3部というカテゴリーも存在します。僕らはこの第3部での出場です。つまり大きく分けて2つのカテゴリーがあって、それぞれで走る人数が違うわけです。しかし、区間や人数が違うのに1区2区、1走2走というように、同じ呼び方をしているので、参加者も運営側も混乱したり話が噛み合わなかったりするのです。


 例えば第1部のランナーが7キロ走るとすると、第3部のランナーは同じ区間を2人で3.5キロずつ襷を繋いで走るといった進行です。ので、1部の2走のランナーが待機する地点には、3部の3走のランナーが待っているということになります。


 もうこの時点でよくわかりません。バスの運転手にしてみれば、そもそも何部の何区の何走がどこにいるかなんて覚えようとも思わないのも当然です。


 あとから気づいたのですが、襷を繋ぐ中継所は、1、2、3……という1部と3部のランナー合同用と、A、B、C……という3部専用の中継所名称が付けられているようです。ので、バスに乗り込むときは、「自分が第何走か?」ではなく、この「自分はどこの中継所で待機するのか」を目印にしてバスかを探せばいいわけです。たしかに、4号車のバスには「A中継所・B中継所」というプラカードも掲げられていました(ただし、なぜそれが4号車だったのかは謎。4号車という掲示は不要だと思う)。


 でも、こういったちょっとした攻略法を自ら発見することに、この大会のおもしろみがあるのだと思います。何もかもわかっていて、教えられたとおりに事が進むことは案外味気ないものです。おそらく、これが「日本でもっとも長い歴史を持つ」所以なのでしょう。参加者は、毎年ちょっとずつ運営側の言わんとしていることがわかってくる。これが日本一の秘密なのだと思います。


 たぶん、つづく。