成長させないこだわり

 少し前にラジオで聞いた話。


 ラジオのパーソナリティが、アニメクレヨンしんちゃん」の裏話として、制作サイドのとある意図、コンセプトを聞いたんだよ、という流れだった。「しんちゃんは、どんなことがあっても一切成長しないという設定で物語をつくっている。それは見ている人の、“これぞクレヨンしんちゃん”という印象を崩さないため」と。なるほどなと。


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 思えば、サザエさんにしてもドラえもんにしてもちびまる子ちゃんにしても、人気長寿アニメというのは、そこに登場する人物は、もうまったくお見事なくらいいつもと変わらない姿を僕らに見せている。おやつがあればつまみ食いするし、つまみ食いされることがわかっていてもいつもと同じ場所におやつを仕舞っているし。そしてテストはいつも安定した低得点で、同じ過ちを繰り返し、どんなに痛い目にあってもこれといった反省もしてない。急な声変わりこそすれど、本質的な存在感にはまったくブレがない。


 言われてみれば、「まあ確かに」で終わる話かもしれないが、ラジオの話はこう続くのだ。「ただ、一度だけ映画のある場面で、しんちゃんが思わず涙を流すというシーンをつくってしまった。この涙というのが、これまでのしんちゃんからすれば、どう考えてもあり得ないような感情であり、しかし映画の展開上泣くことを避けては先に進めない。迷ったが、結局、しんちゃんが感極まって泣いてしまうシーンをつくった。そして、この結果としてクレヨンしんちゃんの映画は、この作品で打ち止め。しんちゃんが成長してしまっては、次の作品はつくることはできないし、つくってはいけない」。(まあ僕はクレヨンしんちゃんはまったく見ていないので細かい部分、ニュアンスまではわからないし、今調べると映画は今年の春も上映されていたみたいなので、映画ではなく他メディアの話だったのかもしれない。この情報の取り扱いにはご注意を)


 我が子のような主人公キャラを、成長させないことに徹底し、「ここでこんな感情や気づきをさせてはいけない」と頭を悩ませる仕事。このこだわりってすごいなと。案外、成長すること以上にしんどいことなのかもしれないなと思った。僕らは無理強いにでも日々のレベルアップを期待されるわけだけど、それって結構ラクチンなことなのかもしれないなと。