第20回香港国際マラソン@2016年1月17日

 唐突に書いてみる。


 はじめて香港に出張で来たとき、職場とホテルの通り道であるネイザンロードで、「香港マラソン」という看板を見た。そのときすでに道楽程度でしか走ってなかったのだが、なんとなく興味は惹かれ、「次走るとしたら香港マラソンで走ってみたいな」というような気持ちになったことは覚えている。で、「一応」くらいの、ぬる~い気持ちでスーツケースに入れたランニング・シューズとTシャツを引っ張りだし、カオルーン公園を走った。走らざるを得ない気持ちになった。2015年1月の暖かい日曜日だった。


 で、実際に香港に住むことになったときから、さて冬の香港マラソンはどうしようかと、頭の片隅に、このマラソンのことは小さくとも確実に存在し続けていた。で、同業者の日本人の知り合いがエントリーしたというのを聞き、それに釣られるかたちで自分も参加を決意。正直、彼がいなければ、参加は見送っていただろう。そして、カテゴリーになるわけだが、百万石ロードレースのハーフで足切りを食らった分際なので、42.195キロのフルは遠慮しハーフにした(今思えば、フルに参加して、記念メダルを狙っても良かったかなと思っているのだが)。とはいえ、香港引越し後、また走ることから遠ざかっていたので、1月17日にむけて、急ピッチで「走る」身体をつくることになった。10月のことである。


 後から調べてわかったのだが、この香港マラソンは、市民マラソンみたいなマラソン大会かと思っていたのだが、「香港国際マラソン」という名前の通り、大規模なマラソン大会で、2015年では世界50カ国から約73,000人が参加している。ちなみに2016年2月28日に行われる東京マラソンの参加者は36,500人。香港は、その倍のランナーが参加する大会なのだ。また、香港が中国に返還された1997年からはじまったという歴史を感じるバックボーンにも魅力を感じた。そして都合の良いことに、2016年は「20回」という区切りの大会でもあった。こういった付加価値も後押しして、参加を決めたといっても良い。


 とまあ、なんだかんだで当日をむかえ、かねてからの予想通り、朝8時の豪雨の中、ハーフの部スタート。部下に買ってきてもらったレイン・コートを羽織って、中日ドラゴンズのWEB限定販売のホワイトのキャップを被り、金沢マラソンのライト・ブルーのTシャツを着て、アディダスのイエローのシューズを履いて走った。気分を盛り上げるためiPodにプレイ・リストも作成したのだが、音楽は一度も聴かなかった。なんとなく香港の街の空気を全身で感じたいと思い、最後までその考えは変わらなかったからだ(とはいえ、聞こえてくるのは、レインコートが擦れるカサカサという音ばかりだったが)。


f:id:junichi13:20160131161405j:plain


 オリンピアシティを越えて、ハイウェイに差し掛かったあたりから、豪雨が鬼雨にヴァージョン・アップし、普通なら滅入るところだが、誰ともなく雄叫びをあげ、雨の中をはしゃぐ子どもにでも戻ったようにバカみたいにエンジョイしている雰囲気が心地よかった。そして、このマラソンでしか歩行者に開放されないトンネルの中でも同じく雄叫びをあげるランナーがおり、反響する声でまた歓声があがるといったランナー達のノリが僕の気を楽にしてくれたことは間違いない。ああ、こうやって参加していることを楽しめば良いんだなと気づかせてくれたわけだ。


 トンネルを抜けて、中環(セントラル)から銅鑼湾(コーズウェイベイ)にかけての沿道応援は力になった。どうして見ず知らずのランナーなんかに、あれだけ懸命な声援を送り続けられるのだろうか。そんな疑問を感じながらも、僕は有り難く声援に応え、なるべくハイタッチを交わし、カメラにはポーズをつくりながら走った。そして、最後、銅鑼湾での声援には「ありがとー」と日本語で返すようにした。その方が「国際マラソン」っぽいかなと思いながら。最後は、3月にしばらく1人で暮らしをしていた銅鑼湾のアパートの目の前を通って、ゴールという思い入れのあるスポットを横切りフィニッシュ。


 結果、ネット・タイムは、2時間16分17秒。まあ上々じゃないだろうか。今回はキロ6分30秒ペースで走ることができれば充分くらいの目安で、タイムをまったく気にしてなかった分、シンプルに走ることを楽しめた。走ることに関しての無理はしなかったし、自分を追い詰め過ぎることもしなかった。これくらいが丁度いいのかもしれない。


◆Runkeeper


 来年も走るかと訊かれたら、ノーかもしれない。今回充分に楽しめたから。まあ、もしフルも走りたいなんて思うようになったら、別かもしれないが。

最近の香港あれこれ

 なんとなくまとめてみる。

萬佛寺@沙田(シャーティン)


 金ピカの地蔵が所狭しと立ち並んでいるスポットで、またMTR(地下鉄)沙田駅からも近いので行ってみた。沙田はIKEAがあるので何度か足を運んだことがあり、香港でも一番多くの人口を抱える区域の中心地である。職場の知り合いも何人か沙田に住んでいる。


 IKEAの少し先にある寶福山という墓地のような場所の奥の方に入り口がある。ただし、たいていの人はこの墓地に墓参りに行く人なので、人の流れに沿って進んでいくと異国の墓地の真ん中で迷子になってしまうので要注意。墓地に行くには階段を登ることになるのだが、階段を登らずに敷地外に出て山道を登る形になる。すると奇想天外な黄金像が見えてくるので、そこまでくればわかると思う。


f:id:junichi13:20151019114816j:plain
f:id:junichi13:20151019114817j:plain
f:id:junichi13:20151019114818j:plain
f:id:junichi13:20151019115324j:plain
f:id:junichi13:20151019115321j:plain
f:id:junichi13:20151019115323j:plain


 英語名では「The Thousand Buddhas Monastery」というらしく、1000体の仏像があるのだろうか。もちろん数えてなんてないのだが、相当数あったし、その立ち並ぶ姿は荘厳で心が鎮まる不思議なパワーを感じた。やはり無宗教の日本人であっても、仏像には親近感があるのかもしれない。興味が惹かれるというと若干違うのかもしれないが、見入ってしまうものがあった。というのも、以前キリスト色のある教会のような観光名所などに入ってみたら、確かにピンと張り詰める新鮮な空気はあったのだが、部外者として、野次馬として足を踏み入れているというある種の遠慮みたいなものを感じたのだ。キリスト教でもないのに、教会に入っているという後ろめたさだ。でも、仏像や仏教的な寺院では、そういった気後れするような居心地の悪さは感じない。まあ個人的な好き嫌いなだけかもしれないけど。


 萬佛寺は、山道の先にあるので、訪問には山登り的な要素も否応なくついてくる。暑い日に行くとそれなりの運動になる。まあどちらかというと、「外せない観光地」ではなく、B級スポットといったカテゴリーなのだろうか。わざわざ行く場所ではないが、行ってみても良いスポットだと思う。

国慶節花火大会@尖沙咀(チムサーチョイ)


 10月1日は「国慶節という記念日である。何の記念日かというと、中華人民共和国建国記念日(1949年10月1日)。日本でいう2月11日ということだろう。もちろん祝日。でまあ、基本的に中国のことを良く思っていない香港人だけど、祝日は祝日としてありがたく享受するわけである。


 で、この国慶節には、毎年尖沙咀と中環の間を流れる海の上で花火が打ち上げられるらしい。海の上といっても、水の上で花火に点火するのではなく、海の上の船の上からという意味である。この日の夜は尖沙咀の港側の道路は通行止めになり歩行者天国状態で、相当数の人が花火の見える海の方に向かって群がっていた。確か21時スタート。


f:id:junichi13:20151003105609j:plain
f:id:junichi13:20151001210606j:plain


 で、花火を見ながら思ったことがひとつ。とにかく打ち上げっぱなしなのだ。マシンガンのように。だから豪快、派手でなんぼみたいなアプローチで、25分位でちゃっちゃと終了。つまり、日本のように、間とか情緒、余韻といった演出が一切ないのだ。次々に運ばれてくる大皿をシェアする中華料理と、小鉢を一品一品嗜む割烹料理くらい印象、楽しみ方が違う。だから、どちらが良いとか悪いとかはない。ただシンプルに「違う」ということを感じた花火だった。

セントラルのハロウィン・パーティに行ってみた

 セントラル(中環)というところで、毎年派手にハロウィン・パーティが行われているとのことで行ってみた。時間は20時過ぎ。日本では味わえない空気に触れられるかなと期待。


 まあ、その噂通り、駅を出たところから相当な人が行き交っており、歩道も柵が設けられ一方通行状態だった。どこで何が行われるかもわからない状態のまま、人の流れに任せて足の速いカタツムリくらいのスピードで進むことになる。普段なら、駅を出て3分ほどで行ける場所まで、迂回やら混雑やらで15分ほどで到着。で、そこいる知人に、セントラルでのハロウィンの楽しみ方を聞いてみると、その応えはすこぶるシンプルで、ランカイフォン(蘭桂坊)というところに、奇天烈な格好をした人間が集まってくるので、そこを練り歩けばいいらしい。ピークは22時から23時頃。たしかに21時前の時点では、人こそ多いが、「おお、さすがは!」というようなコスプレも数は少ない状態だった。僕のような普段着のままの野次馬と、子連れで参加しているまだ節度のある人たちが多数を占めているの時間帯なのだろう。


 で、コスプレイヤー同士が写真を撮り合い、所々でテンションの高い人たちが見受けられる中を練り歩く。とはいえ、全体的に大人しい。金沢市民くらい大人しい。そして、いつの間にか人の輪の中から抜け出てしまった。道端のポリスメンが広東語で何か言っており、詳しくはわからないが、逆戻りはできないルールになっているようだ。もう一度長い行列の最後尾に着いて、スネイル・スピードでランカイフォンに行くほどの気力もなかったので、そのまま地下鉄に乗って帰ることにした。時間が早すぎたこともあったし、要領がつかめてなかったこともあって、「見学した」くらいで終了させたわけだ。大人数でどこかのバーのようなところから、酒を飲みながら行き交う人々を眺めるというのが、賢く楽しい過ごし方かもしれない。あと自分自身がコスプレするか、子どもに仮装させて参加すると、心の底から楽しめたかもしれない。


f:id:junichi13:20151031203413j:plain
f:id:junichi13:20151031205043j:plain


 で、翌日日本のテレビを見ると、六本木や渋谷でのハロウィンの様子が流れていた。その瞬間感じたこと。ああ、日本の方が絶対おもしろそうだわ、と。もちろんテレビは都合のいい部分だけを切り取っていることくらい百も承知だけどね。


f:id:junichi13:20151031204557j:plain


 香港では、当然のことながらお化けやゾンビ、魔女、キョンシーのコスプレが多かった。マリオやバットマンといったゲームや映画キャラの仮装をした西洋人もいたが、言うなれば、みんなハロウィンっぽいコスチュームなのだ。僕が見た限りでは「おお、そう来たか、やられたぁ!」と嫉妬心を抱くような仮装はなかった。一方、日本の映像を見ると、ハロウィンという枠に捕らわれずにまったく自由奔放で、時事ネタを折り込んだり、金沢美大の卒業式以上にユニークなものばかりだった。ボツになった東京五輪のロゴの仮装やラグビー日本代表の五郎丸のコスプレをした人など、「ハロウィン」という本来の趣旨からは外れているのだが、やっぱ日本人って自己流にアレンジするのって上手だなと思った。島国ですよ、無宗教ですよ。自分が楽しければいいんですよ。そもそもハロウィンって何なのか説明できる人なんていないでしょう。でも、この「ハロウィンで、その格好するのかよ!」というユーモアが香港にはなかったので、僕は二度目のランカイフォン巡りをすることなく家路についたのだと思う。


 日本でもここ数年、ハロウィン・パーティの認知度が上がり、市民権を得てきたようだ。イベントとしての市場もバレンタインデーと同じくらいとかなんとか。まあ、いくらチョコの流通があると行っても、単価が安いからね。ハロウィンで仮装グッズを揃えるとなると、相当な金が動くことくらい容易に想像できる。だったら、本来は子どものためのお祭りとか堅いこと言わずにみんなが楽しめばいいと思うよ。金が動くのなら、動かしたほうがいいに決まってる。


 と、朝のニュースを見ながら思ったのだが、同時に香港が日本に負けたという悔しい思いも持った。これは僕が香港に馴染んできている所以なのか、それとも単に香港にいるということで日本にいる知り合いよりも優越感を持ちたかっただけなのか、わからないが。

血液型の話@香港

 唐突に描いてみる。


 香港に来て、日本語のできる中国人と雑談しているとき、「ところで、日本人って血液型の話って大好きだけど、香港人や中国人も自分や他人の血液型って気にするの?」と質問してみた。一応断っておくが、僕は一般的日本人よりも圧倒的に血液型には興味はないクチなのだが、まあ話題の一つとして持ちだしたまでだ。で、その返答は、「中国人は血液型なんてまったく関心はないです。多分香港人もです。ちなみに私、自分の血液型、知りません」とのこと。その後、何人かの人間に同じ質問をしたが、果たして同じような返答が戻ってきた。華僑の人たちは、血液型よりも星占いホロスコープ)が占い分野の中心にあるようだ。


 で、その後、部署のミーティングの場で10人の香港人、中国人に「みんなの血液型、教えて」と質問してみた。その結果、まさかとは思ったが、3人ほどがO型で、残り全員が「自分の血液型なんて知らない」とのこと。占いとか興味とか以前に、もしものときのために知っておけよと思う。だから、「もし、輸血が必要なときどうするの?」と訊いたら、「そのとき調べればいい」とのこと。あっそうですか。まあ、確かに輸血時、献血時以外に自分の血の「型」なんて知る意味はないんだけどね。


f:id:junichi13:20150922161743j:plain


 で、そのとき自分の血液型を知っているという貴重な人間が「O型ってどんなタイプなの?」と質問してきた。その子は日本語ができない子なので、「そんな難しい返答、英語でできないから、Googleで調べといて」と冷たくあしらった。そもそも僕はO型がどういう性格かなんて知らないし、英語はおろか日本語ですら説明できない。


 で、その後仕事をしながら、O型の性格をまとめてあるサイトでも教えてやろうと、Googleで探してみるのだが、O型を説明する広東語のサイトがまったく見つからない。まあ、片手間で探しているせいもあるのだろうが、google.com.hkを使って、血液型に関するキーワードで検索しても、日本語のサイトしか出てこない。で、ふと気づいたのだが、血液型に興味のない香港人、中国人だから、その言語のページがないのも当然だなと。ホントに、こいつら血液型なんかどうでもいいと思っているわけだ。ネットですら話題にしない。そもそも自分がO型ってわかってる子でも、そのO型がどういうものなのか知らず質問してくるってことも、日本人にとっては違和感だ。いくら血液型に興味がなくても、日本人であれば、自分の血液型に関するデータくらいは認知しているのもだからね。


 ということで、香港や中国では血液型の話をしても盛り上がりません。覚えておいてください。ところで台湾人はどうなんだろうか?

伊坂幸太郎著『グラスホッパー』を読んで

 なんとなくiBooksで購入。


 何人もの「殺し屋」が登場する物語なのだが、主人公はごく一般的な善良な市民という設定。血の気の多い殺し屋や悪党達が次々あらわれ鬼気迫る中で、性善説の主人公の言動にイライラする場面もあるが、ストーリーがとてもしっかりしているので、読み応えがある。たとえ共感できない場面があっても、物語の展開に巻き込まれてしまうのだ。でも正直、伊坂作品の中での評価としては、さほど高くないかもしれない。『ゴールデンスランバー』や『重力ピエロ』『死神の精度』『アヒルと鴨のコインロッカー』と比べると、次点くらいの位置付けかな。アクマで僕の個人的な好き嫌いだけど。


 で、どうでもいいことかもしれないが、映画「ゴールデンスランバー」を観てから、どうも伊坂作品の主人公は堺雅人をイメージしてしまう。この作品も堺雅人主演で映画化しても良いのではないかと思う。と思って調べてみたら、生田斗真主演で秋に映画がスタートするらしい。この手のテンポのある物語は映画でもきっと観ごたえがあるはずだし、機会があれば劇場に行ってみたい。


◆映画『グラスホッパー』公式サイト


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとにー「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
伊坂幸太郎(イサカコウタロウ)
1971年千葉県生まれ。95年東北大学法学部卒業。2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。『アヒルと鴨のコインロッカー』で第25回吉川英治文学新人賞、短編「死神の精度」で第57回日本推理作家協会賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)