セントラルのハロウィン・パーティに行ってみた

 セントラル(中環)というところで、毎年派手にハロウィン・パーティが行われているとのことで行ってみた。時間は20時過ぎ。日本では味わえない空気に触れられるかなと期待。


 まあ、その噂通り、駅を出たところから相当な人が行き交っており、歩道も柵が設けられ一方通行状態だった。どこで何が行われるかもわからない状態のまま、人の流れに任せて足の速いカタツムリくらいのスピードで進むことになる。普段なら、駅を出て3分ほどで行ける場所まで、迂回やら混雑やらで15分ほどで到着。で、そこいる知人に、セントラルでのハロウィンの楽しみ方を聞いてみると、その応えはすこぶるシンプルで、ランカイフォン(蘭桂坊)というところに、奇天烈な格好をした人間が集まってくるので、そこを練り歩けばいいらしい。ピークは22時から23時頃。たしかに21時前の時点では、人こそ多いが、「おお、さすがは!」というようなコスプレも数は少ない状態だった。僕のような普段着のままの野次馬と、子連れで参加しているまだ節度のある人たちが多数を占めているの時間帯なのだろう。


 で、コスプレイヤー同士が写真を撮り合い、所々でテンションの高い人たちが見受けられる中を練り歩く。とはいえ、全体的に大人しい。金沢市民くらい大人しい。そして、いつの間にか人の輪の中から抜け出てしまった。道端のポリスメンが広東語で何か言っており、詳しくはわからないが、逆戻りはできないルールになっているようだ。もう一度長い行列の最後尾に着いて、スネイル・スピードでランカイフォンに行くほどの気力もなかったので、そのまま地下鉄に乗って帰ることにした。時間が早すぎたこともあったし、要領がつかめてなかったこともあって、「見学した」くらいで終了させたわけだ。大人数でどこかのバーのようなところから、酒を飲みながら行き交う人々を眺めるというのが、賢く楽しい過ごし方かもしれない。あと自分自身がコスプレするか、子どもに仮装させて参加すると、心の底から楽しめたかもしれない。


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 で、翌日日本のテレビを見ると、六本木や渋谷でのハロウィンの様子が流れていた。その瞬間感じたこと。ああ、日本の方が絶対おもしろそうだわ、と。もちろんテレビは都合のいい部分だけを切り取っていることくらい百も承知だけどね。


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 香港では、当然のことながらお化けやゾンビ、魔女、キョンシーのコスプレが多かった。マリオやバットマンといったゲームや映画キャラの仮装をした西洋人もいたが、言うなれば、みんなハロウィンっぽいコスチュームなのだ。僕が見た限りでは「おお、そう来たか、やられたぁ!」と嫉妬心を抱くような仮装はなかった。一方、日本の映像を見ると、ハロウィンという枠に捕らわれずにまったく自由奔放で、時事ネタを折り込んだり、金沢美大の卒業式以上にユニークなものばかりだった。ボツになった東京五輪のロゴの仮装やラグビー日本代表の五郎丸のコスプレをした人など、「ハロウィン」という本来の趣旨からは外れているのだが、やっぱ日本人って自己流にアレンジするのって上手だなと思った。島国ですよ、無宗教ですよ。自分が楽しければいいんですよ。そもそもハロウィンって何なのか説明できる人なんていないでしょう。でも、この「ハロウィンで、その格好するのかよ!」というユーモアが香港にはなかったので、僕は二度目のランカイフォン巡りをすることなく家路についたのだと思う。


 日本でもここ数年、ハロウィン・パーティの認知度が上がり、市民権を得てきたようだ。イベントとしての市場もバレンタインデーと同じくらいとかなんとか。まあ、いくらチョコの流通があると行っても、単価が安いからね。ハロウィンで仮装グッズを揃えるとなると、相当な金が動くことくらい容易に想像できる。だったら、本来は子どものためのお祭りとか堅いこと言わずにみんなが楽しめばいいと思うよ。金が動くのなら、動かしたほうがいいに決まってる。


 と、朝のニュースを見ながら思ったのだが、同時に香港が日本に負けたという悔しい思いも持った。これは僕が香港に馴染んできている所以なのか、それとも単に香港にいるということで日本にいる知り合いよりも優越感を持ちたかっただけなのか、わからないが。

血液型の話@香港

 唐突に描いてみる。


 香港に来て、日本語のできる中国人と雑談しているとき、「ところで、日本人って血液型の話って大好きだけど、香港人や中国人も自分や他人の血液型って気にするの?」と質問してみた。一応断っておくが、僕は一般的日本人よりも圧倒的に血液型には興味はないクチなのだが、まあ話題の一つとして持ちだしたまでだ。で、その返答は、「中国人は血液型なんてまったく関心はないです。多分香港人もです。ちなみに私、自分の血液型、知りません」とのこと。その後、何人かの人間に同じ質問をしたが、果たして同じような返答が戻ってきた。華僑の人たちは、血液型よりも星占いホロスコープ)が占い分野の中心にあるようだ。


 で、その後、部署のミーティングの場で10人の香港人、中国人に「みんなの血液型、教えて」と質問してみた。その結果、まさかとは思ったが、3人ほどがO型で、残り全員が「自分の血液型なんて知らない」とのこと。占いとか興味とか以前に、もしものときのために知っておけよと思う。だから、「もし、輸血が必要なときどうするの?」と訊いたら、「そのとき調べればいい」とのこと。あっそうですか。まあ、確かに輸血時、献血時以外に自分の血の「型」なんて知る意味はないんだけどね。


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 で、そのとき自分の血液型を知っているという貴重な人間が「O型ってどんなタイプなの?」と質問してきた。その子は日本語ができない子なので、「そんな難しい返答、英語でできないから、Googleで調べといて」と冷たくあしらった。そもそも僕はO型がどういう性格かなんて知らないし、英語はおろか日本語ですら説明できない。


 で、その後仕事をしながら、O型の性格をまとめてあるサイトでも教えてやろうと、Googleで探してみるのだが、O型を説明する広東語のサイトがまったく見つからない。まあ、片手間で探しているせいもあるのだろうが、google.com.hkを使って、血液型に関するキーワードで検索しても、日本語のサイトしか出てこない。で、ふと気づいたのだが、血液型に興味のない香港人、中国人だから、その言語のページがないのも当然だなと。ホントに、こいつら血液型なんかどうでもいいと思っているわけだ。ネットですら話題にしない。そもそも自分がO型ってわかってる子でも、そのO型がどういうものなのか知らず質問してくるってことも、日本人にとっては違和感だ。いくら血液型に興味がなくても、日本人であれば、自分の血液型に関するデータくらいは認知しているのもだからね。


 ということで、香港や中国では血液型の話をしても盛り上がりません。覚えておいてください。ところで台湾人はどうなんだろうか?

伊坂幸太郎著『グラスホッパー』を読んで

 なんとなくiBooksで購入。


 何人もの「殺し屋」が登場する物語なのだが、主人公はごく一般的な善良な市民という設定。血の気の多い殺し屋や悪党達が次々あらわれ鬼気迫る中で、性善説の主人公の言動にイライラする場面もあるが、ストーリーがとてもしっかりしているので、読み応えがある。たとえ共感できない場面があっても、物語の展開に巻き込まれてしまうのだ。でも正直、伊坂作品の中での評価としては、さほど高くないかもしれない。『ゴールデンスランバー』や『重力ピエロ』『死神の精度』『アヒルと鴨のコインロッカー』と比べると、次点くらいの位置付けかな。アクマで僕の個人的な好き嫌いだけど。


 で、どうでもいいことかもしれないが、映画「ゴールデンスランバー」を観てから、どうも伊坂作品の主人公は堺雅人をイメージしてしまう。この作品も堺雅人主演で映画化しても良いのではないかと思う。と思って調べてみたら、生田斗真主演で秋に映画がスタートするらしい。この手のテンポのある物語は映画でもきっと観ごたえがあるはずだし、機会があれば劇場に行ってみたい。


◆映画『グラスホッパー』公式サイト


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとにー「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
伊坂幸太郎(イサカコウタロウ)
1971年千葉県生まれ。95年東北大学法学部卒業。2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。『アヒルと鴨のコインロッカー』で第25回吉川英治文学新人賞、短編「死神の精度」で第57回日本推理作家協会賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

角田光代著『対岸の彼女』を読んで

 iBooksでなんとなくおもしろそうな本を探していて、角田作品なら間違いないだろうということで購入。まあ特別絶賛するこどでもないが満足はできた。


 ざっくりあらすじを説明すると、子育てに追われながらも働く女性とその会社の経営者の過去、コンプレックスや他人の目が気になって仕方がない女子高生時代を描いた2人の女性の物語。軸となっている舞台は非常にありふれたもので、「こういうテーマで物語を描きなさい」と言われたら、なんの変哲もないマンネリしたものができあがってしまいそうであるが、そこに深みを出しているのがさすが。「日常」のリアリティが色濃くあり、何も奇をてらったことはしていないのに、どっこいドラマティックであり退屈もしないという、とてもバランスのとれたストーリーになっている。一方で、何か大事が起きそうで起きないという一面もあり、そこで物足りなさを感じる人もいるかもしれないが。


 そんななか僕がメモしたのはこちら。まあ誰もが疑問に思っている「生きる」こと、もっと泥臭くいうと「生活し続けること」の意味のようなものを非常にシンプルに言い表しているような気がする。

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが…。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
角田光代(カクタミツヨ)
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。90年『幸福な遊戯』で第9回海燕新人文学賞、96年『まどろむ夜のUFO』で第18回野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で第13回坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で99年第46回産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年第22回路傍の石文学賞を受賞。03年『空中庭園』で第3回婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で第132回直木賞、06年「ロック母」で第32回川端康成文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

抗日戦勝記念日と広島平和記念式典

 自分のGoogleカレンダーに、「香港の祝日」も表示されるようにしてる。当然のことながら、日本にいると馴染みのない祝日が見受けられる。例えば、今年2015年であれば、4月のアタマ、3日から7日にかけて祝日が設けられており、大型連休になっている。これらはイースター祭」と言われるキリストの復活を祝った連休である。とはいえ香港はクリスチャンの国でもないわけだが、まあイギリス文化の名残みたいなもんだろうか。一方、5月25日(旧暦の4月8日)は、お釈迦様の誕生日で祝日。日本ではなかなかみられない宗教的な意味合いの祝日があるわけだ。


 で、9月3日にも祝日が設けられており、「70th Anniversary of Japan's Surrender」と表記されている。「日本降伏」とあるので、何かしら興味が惹かれる。


 1945年8月15日が終戦記念日であることは、日本人なら誰でも知っているが、このポツダム宣言のあと、日本が降伏文書に調印したのは、同年の9月2日になるらしい。で、中国では、この翌日9月3日を抗日戦勝記念日としているようだ(調印の翌日から本当の自由を得たという意味合いだろうか)。しかし、去年などは記念日とはいえ、祝日になるわけではなかったのだが、今年2015年は、この降伏から70周年ということもあって、祝日になっているらしい。


 と、ここで2つのことを思った。


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 まず、日本が香港を占領していたという事実をはじめて知った。アヘン戦争後(1842年)、香港がイギリスの植民地になったことはwikipediaの香港のページで厭というほど見て覚えた。しかし第二次世界大戦中の1941年12月25日(真珠湾攻撃をしたすぐ後だ)日本は香港い居たイギリス軍を追い出し、侵略に成功。日本はイギリスに代わり、香港を統治下においたのだった。そして、1945年の日本降伏後、香港は再びイギリスの植民地となり、1997年7月1日(7月1日も香港では祝日)に中国返還され、今に至るという忙しい歴史である。勝手なイメージだが、戦争において日本は、韓国や中国には憎まれるだけの統治や占領、侵略があったのかもしれないけど、その他の国には特にこれといった関わりがないと思っていた。大きな間違いだったようだ。現在、これだけの親日国家である香港にだって侵略攻撃をしていたわけだ(そこで、住民にどれだけの危害を加えたのかは知らないが)。なんとなく心苦しい気分になった。


 一方で、「抗日戦勝記念日」というようなネーミングには、やはり日本人としては良い気分はしない。そもそも人間同士で戦争に勝った負けたなどを記念してどうするんだとも思う。だって僕が何も知らずに、そばにいる香港人や中国人に9月3日は何で祝日なのか訊いたときに、「戦争で日本が負けを認めた記念日です」とか返答されると、お互い気まずいことは目に見えている。過去にあった暗い事実を、何ら関係のない今の人間にまで残さないでほしい。歴史の授業や家族の会話のような身内で語り継ぐことは必要かもしれないが、対外的に目に見えるような場所や形で掲げない方が良いのではないかと思った。争い事は、例えそれが終わったとしても、些細なめんどう事がいつまでも残してしまう。


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 そして今日は広島に原爆が落とされた日でもある。と改めて原爆のことを考え、戦争で被害を受けた側の立場で考えてみると、過去の争いにおいて、傷つけた方も傷つけられた方も、その事実はしっかり認識すべきなのかなとも思ってしまう。世界中のニュースで、今日くらいはヒロシマの式典の様子を放送しろよと思ってしまう。そして、自分の立ち位置によって主張って変わってしまうんだな、でもそれがあらゆるいざこざの根源なんだろうなと感じた。