昼どきの公園の妄想力

 お昼は弁当を食べることが多いのですが、最近は車で外に出るようにしています。で、適当に日陰になっている場所を見つけて、そこに車を止めて、車の中で少し窓を開けて弁当を食べるわけです。猛暑も通り過ぎ、次、積雪の季節になるまでは、悪くないランチ・タイムの過ごし方でしょう。食後に気兼ねなく昼寝することだってできるわけですし。


 ただ、車の中で食事をすると、ニオイが残るかなと思い(そして往々にして自分がつくりだしたニオイというものに本人は気づきにくいものです)、今日は公園のベンチで食事をしました。公園のベンチでお昼ごはんを食べるというと、いかにも健全で微笑ましく幸福なイメージがあるかもしれませんが、実際にはそこまで爽やかなものでもありません。足元にはよくわからない昆虫の死骸があったり、頭の上にはこれまたよくわからない虫が飛んでおり、いつの間にかふくらはぎや肘の上あたりが痒くなっていたりと、意外に煩わしい部分もあったりします。それでもまあ、天気も良く、風が吹けば心地よさも感じる季節なので、外に出ておくことは悪くないことだと思います。


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 で、食事をしながら思ったのですが、東京に居た頃、よくこうやって公園やベンチと日除けのあるような場所で飯を食っていたなと思い出しました。外まわりに出ることが多かったこともあるでしょうが、屋外でそのときそのときの季節感や、そこで遊んだり素通りする誰ともわからない人をよく眺めていたものでした。こういった、ただぼおっと景色を眺めている時間というのは、想像以上に有意義だったりします。また外で本を読んでみると、良い意味で集中力が分散してくれます。というのは、フィクションの世界にある程度没頭しつつ、ふと顔を上げて目の前のリアルの世界を見直してみると、自分のすぐそばにある現実の世界に奥行きを感じ直感力が働くのです。むこうのブランコで遊んでいる親子がどういう家庭で、母親はどういう幸せとどういうストレスを感じているのか――。自分の正面に座っているくたびれたおっさんが、どういう人間で会社でどいうポジションにあり、どういう人生を送っているのか――。そういったことがイメージできてくるわけです。もちろん、正解のない、自分勝手な妄想ですけどね。でも、こういった、知らない人間を勝手にイメージする力というのが、何かしらの肥やしになっていた気がします。ああ、こういうことやってたなと、懐かしい気分になれました、公園のベンチでご飯を食べながら。


 ただやはり、東京と違って田舎では、平日の昼どきの公園に人などあまりいません。そこが少し残念なんですけどね。