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映画「華麗なるギャツビー」を観て

 非常にやっかいな物語、僕にとってそういう位置づけてある。というか、もう、そういう位置づけだったと言ってもいいだろう。スコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』のことだ。


 というのも、1920年代を代表するアメリカ文学、否、1920年代どころか20世紀最高の小説として謳われることも少なくない作品であり、村上春樹はじめ「もっとも影響を受けた小説」として紹介する作家も多いため、当然僕は「じゃあ、どんな素晴らしい作品なんだろう」と大きく期待が膨らむわけだ。ご存知『ノルウェイの森』の作中でも、やり過ぎではないかと思うくらいの賛辞を持って紹介されている。ということで、新潮文庫から出ていたこの古いアメリカの小説を買って何度か読み通したし、村上春樹訳が出版されたときも発売日に書店に行き購入し、再読した。しかし、残念ながらそこまで強烈なインパクトは受けなかった。というより、正直よく理解できなかったし、諸々の評判を知らなかったら、途中で読むのをやめていたかもしれないくらいだ。この作品のどこに、あれほどの素晴らしさがあるのかわからんと。


 だから今回の映画化は非常に楽しみにしていた。映像化されることによって、幾分1920年代のアメリカというものの空気が掴め、物語の舞台背景が把握できるのではないだろうかと。知らない時代、知らない国の話でも、映像でなら何かがわかってくるはずだ。


 そして、映画がスタートし、5分か10分くらいで確信が持てた。これは間違いなく、小説を読んで理解できなかった部分、イメージできなかった空白を埋めてくれるだろうと。そういう雰囲気を持っていた。結果、はじめてと言っていいくらい期待以上の満足感を得ることができた映画だった。なるほど、フィッツジェラルドはこういう世界を描いていたのかと。そして、物語の核であるギャツビーの人物像、人間関係が今回非常にはっきり、クリアーに理解できた。自分の読解力のなさに辟易もしたが、それでもこの不朽の名作を堪能できた嬉しさの方が大きかったのは間違いない。


 デカプリオの演技をまともに観たのははじめてかもしれないが(僕は「タイタニック」を観ていない)、まさにギャツビーにうってつけのキャスティングだったように思う。そして、ニック・キャラウェイ役のトビー・マグワイアも、どことなく作者フィッツジェラルドを感じさせる風体で作品にマッチしていた。デイジーは申し分の無い美貌だったし、むしろベイカーが栗山千明的なエッヂの効いた雰囲気があって特によろしかった。個人的に好きな場面は、ギャツビーがデイジーに向かって次から次へとシャツを投げ下ろすシーン。これは本当に名場面だと思う。ディジーにつられて僕まで泣きそうになってしまったくらいだ。そしていかにもフィッツジェラルドという、どうしようもない閉塞感のオンパレードで幕を閉じる展開も見事だった。もう一度小説を読んでみようかなと思う。満を持して。


 ちなみにマンダム社の「ギャツビー」の名前の由来は、この「華麗なるギャツビー」なんだとか。何度読んでもよく理解できないながらも、やはり気になっていた作品だったので、僕は随分昔からメンズ・コスメは一貫してギャツビーを使用しており、おそらく今後も贔屓にしていくだろうと思う。まあ、華麗なる余談だけど。


◆映画 『華麗なるギャツビー』 公式サイト