ドラえもん、焼きそば、シソノコご飯

 主に小学校の頃の話。日曜日の朝、テレビでドラえもんを観ることが、一週間の中で最重要とも言える時間だった。自主的に5分前行動で万全の準備をしてそのときを待つ。時間割表に書いてもよいほどの徹底ぶりだった。日曜朝9時、6チャンネル、ドラえもん


 で、ドラえもんを観ていると、父親がもそもそと起きてくるわけだ。否、ドラえもんを観ていると起きてくることもあれば、ドラえもんがはじまるよりも前に起きてくることもあるし、ドラえもんが終わってからのときもある。大人の日曜の朝に規則性などないのだ。そして、起きてきたかと思うと、台所に行って朝飯をつくりだすことがあった。たまに、つくらないこともあったが、つくることの方が多かったように思う。そして、この日曜の朝のあらゆる規則性のなさとは相反し、そのときに拵える料理は断固として決まっていた。焼きそば。赤いパッケージの日清焼そば。何の変哲もない、おそらく当時、日本でもっともメジャーな即席焼きそばである。


 で、僕はこの親父のつくる焼きそばが好きだった。というのも、インスタントにも関わらず親父独特の仕上がりで、父親がつくったものでしか味わえないというプレミア感があったからだ。たまに、母親やばあちゃんに同じ日清焼きそばをつくってもらうこともあったが、どうも違う。何か違う、こんなんじゃないと常々不満に思っていた。おそらく親父は、袋の裏面に書かれている「おいしいつくり方」など読みもせず、水の量は目分量だし、調理時間も気分次第で、自分オリジナルのつくりかたをしていたのだろう。男の料理なんてそんなもんだ。でも不思議と出来上がったものには、一貫したブレない味と存在感があった。その焼きそばは、台所からフライパンのままテレビのある居間に運ばれ、もう朝9時の時点で用済みとなった新聞紙の上に何の遠慮もなく置かれる。そして家では「シソノコ」と呼んでいた紫蘇の葉を乾燥させてふりかけ状に砕いたもの(一般的には「ゆかり」と言う)を白ご飯に掛けて、それと一緒に食べていた。僕の小学校の頃の日曜の朝を集約した一場面である。ドラえもん、焼きそば、シソノコご飯。


 中学に入って部活がはじまってからこの親父の焼きそばを食べることもめっきり減った。高校に上がるとまったくなくなった。しかし、大学で一人暮らしをはじめたとき、僕の家の台所には必ず日清焼そばがあった。必ず。日曜の朝に食べるためにだ。そして、自分なりに焼きそばをつくるも、「う~ん、なんか違う」と思いながら食べていた。親父のつくった味とはどうしても違うし、真似ができなかった。水を入れてその後しばらくフライパンを揺するだけの料理なのに。そして、多くの大学生がそうであるように、生活サイクルが乱れるとともに、日曜の朝にわざわざ焼きそばをつくることもなくなった。オトナの、日曜の朝に規則性などないのだ。そして、いつの間にか、僕の生活の中から日清焼きそばというものの存在が薄れ、そして消えていった。最近いつ食べたかも思い出せないくらいだし、10年くらい食べてなければ、見かけてもいない気がする。


 そんな親父のつくった焼きそばのことをふと思い出した。コンフェデレーションズカップを観るために早く就寝したものの、寝付けずにいたら思い出したのだ。どういうわけかふと。23時にベッドに入ったのだが、たぶんその頃にはもう日付は変わっていたと思う。今日は、父の日。