好きだと不愉快で、嫌いだと急接近

代表ユニを着た女性の電車内での会話。
「埼玉にサッカーのチームってあるの?」?「わかんない」。
酷い..orz


◆@masao_katou


 4日の代表戦後ふと見かけたツイート。単なる笑い話として終わらせることができるのだが、さらにもう一歩話を進めるとなると、2通りの考え方ができる。「Jリーグも知らない人間はもうサッカーを観るな、バカヤロウ」「Jリーグを知らなくてもサッカーを応援してくれる人がいる、うれしい」。


 まあ僕の意見は後者の方で、というか僕自身、日本代表の試合がおもしろいと感じ、Jリーグもちゃんと観るようになった人間なのである。2002年以降の話。そもそも大多数の人間がこのフローだろうと思う。しかし一方で、コアなファンにとってみれば、今さっきやって来たくせに我が物顔でサッカーを語るにわかファンをおもしろく感じないのもわかる。まあ何事においてもそうだと思う。


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 まあ、上記のツイートは極端な例としても、自分の好きな分野のことを、他人が「オレ知ってんだぜ」と喋っているのを耳にすると、不思議と不快感を感じてしまうものである。昔地下鉄で近くに居合わせた40代くらいのサラリーマン3人が、いかにイチローがすごくて、そして松井もそれに負けていないという話をしてたときに、無性に腹が立ってきたという経験がある。イチローが細いバットを使ってるのはミスショットが前に飛んで凡打になるのを防ぐためで、「だってバットが細いと空振りにしたり、ファウルで逃げられるだろぉ」とか。松井はキャプテンのジーターにも野球に取り組む姿勢を認められ一目を置かれており、「あの2人、同じ歳なんだよぉ~。74年生まれ。気が合うんだろうな」とか。まあなんかどっかのテレビで聞いたような話をオレしか知らない情報かのごとく大きい声で話していたわけだ。なんならこの輪の中に自分が入っていって一緒にトークに花を咲かせることもできたのだが、まったくそんな気にならなかった。どうしてだろうか。好きなものは同じ同士のはずなのに。


 そこでふと思い出したのは、「好きなものが同じ」だとぶつかり合うこともあるけど、「嫌いなものが同じ」だと距離が縮まる、みたなことが書いてあり、プロフィール欄に「嫌いなものリスト」を列挙しているホームページがあったこと。これは一理あると思う。そこに「読売ジャイアンツ」とか「バナナ」とか「おにぎりの具でおかか」あったので、実際その人にぐっと親近感を感じたわけだし。自分の好きなことを話している他人には腹を立てて、自分の嫌いなものを書き並べた他人に親しみを感じるとか、人間って非常にめんどくさい生き物だなと。