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“頭が悪い”で片付ける

 ネット上で、あれこれ議論しているやり取りりをよく見ます。まあ議論というよりも、ある事柄に対してイチャモンをつける人間と、それに対して反論する人間が出てきて、喧嘩するわけでもなく罵声だけを残してその場から立ち去るといったケースがほとんどですがね。まあ、炎上もそのひとつかもしれません。言いたいことだけ書き込んで終了、みたいな。で、そういったやり取りを傍から見ている人が、ぽつりと「自分と同じ考えに至らない人は“頭が悪い”で片付けるのはやめなよ」とつぶやいていました。思わずメモしてしまいました。


 僕自身、他人に何かを説明することが非常に苦手で嫌いであると自覚しています。自分の知識を他人に「教える」ことができないのです。自分の意見を他人に述べることも嫌いです。そして、その理由として「話ししてて頭の悪い人間とはもう喋りたくない」というようなことを常々思っていました。完全な「できない言い訳」なんですけどね。ちょっと喋って伝わらないとイライラしてきて、先の理由で説明を放棄してしまいます。だから、「自分と同じ考えに至らない人は“頭が悪い”で片付けるのはやめなよ」という言葉を見て、胸が痛くなったのです。あー、これって俺のことだなと。つまり、本来ならなぜお互いの主張が伝わらないのか、そしてその差がどれだけあるのかを探して、見つけて、埋めていかなくてはいけないのです。しかし、僕を含め、ネット上で腹を立てている人たちは、ちょっと説明して伝わらなかったら、もういいや、と全放棄してしまいます。というより、ハナから説明を放棄して、文句だけ述べているといった方が正しいのかもしれません。


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 で、冒頭の話ですが、Twitter上で、ある事柄でイチャモンを言っている人間とそれに対する反論を述べ合ってる2人がいました。お互いに「@ユーザー名」でバトルしており、即レスで結構長いやり取りが続いていたわけです。「アンタも僕らの立場になってみればわかるだろ」「おれがその立場でもまったく気にしませんけどね」などと、売り言葉に買い言葉状態です。僕は、おいおいそう熱くなるなよと思いながらも野次馬心もあってリロードしながらそのやり取りを追っていました。すると、ある時点から「一理ありますね。そこは理解しましたが、しかしですね――」「なるほど、そういう意味でしたか――」などと、お互いの距離が目に見えて縮まってきているのです。そして、この辺が僕の汚いところなんですが、喧嘩であれば追っかけて様子を見るくせに仲良くなりそうだとわかった途端興味が失せてしまったわけです。つまり、その後どうなったかは知りません。が、間違いなく和解するようなムードでした。


 意見があるということは、その対象物にたいしての愛着や愛情があるということなので、わかりあえないはずがないのです。僕は、説明する力というより、説明する勇気をもっと持つべきなのかなと思いました。