シフトの憂鬱

 バンドの練習スタジオでバイトをしてたときの話。


 出勤はシフト制で、休みたい日に「休み希望」を申請して1ヶ月のシフトを決めるというルールだった。そしてある年の11月。翌月のクリスマスの日、24日だったか25日は、ほぼ全員が我先にと「休み希望」を出していた。僕もこれといった予定もないが、見栄で「休み希望」を出した。そもそも、そんな日は予定がなくとも働きたくないということもあったからだ。


 で、ある日、とある先輩が、この「休み希望」状況を目にして、「なんや、みんな休み希望になっとるやんけ」と。僕は、先輩も早く希望出しておいた方がいいですよ、ニヤニヤしながら返事した。こんなの早い者勝ちですからね、出遅れちゃいましたねと。しかし意に反して先輩は真面目にご機嫌斜めになった。「こりゃアカンやろ!」と。「そりゃ休みたいのはわかるけど、これじゃ誰が仕事するんじゃ!」。別に誰に言うわけでもなく、納得のいかない表情を浮かべていた。もちろん僕に向けた批判もあっただろうが。


 まあ、言われてみればその通りなのだが、その頃の僕は自分のことしか考えてなかったし、自分が厭なら何がなんでもノーという価値観しか持ちあわせていなかった。誰かの都合に合わせることなど、絶対にしなかったので、そのまま知らん顔して仕事は休んだ。結局、通常は早番、中番、遅番と4~5人でまわしている1日の業務をその先輩と誰か2人で1日こなすことになったらしい。


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 そして今でもシフト制の仕事をしているのだが、ちょくちょくこの出来事を思い出してしまう。


 一般的に休みたい日に休みが集中するのは仕方ないことなのだが、受け持ちのチーム全員が休み希望を出していても、それでも構わず休み希望を申請する人は必ずいる。当時の僕のように。すると今の僕は、いやこれじゃさすがにいかんよ、誰か出勤してくれという話をせざるを得ない。当然、みんな俯いて何も言いたがらない。しかし、基本的に一番立場が下の人間が貧乏くじを引いてしまったというような表情で「わかりました」と言う。全員がとても消耗する。


 でもまあ、世の中うまくできているものなのか、自分がやってきたろくでもないことというのは、きれいに自分に跳ね返ってくるものなのだろうと解釈している。