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僕が働いた場所@広告代理店2(2001~2002年)

note tokyo

 チカちゃんの話。


 前にもブログに書いたことがあるが、同じ部署内のチームで「チカちゃん」と呼ばれている先輩がいた。当時僕が24歳くらいで、彼が43歳だった。お世話になったのでよく覚えている。目下、僕の人生に大きな影響を与えた3人の大人のうちの最後の1人だ。


 彼は正社員として働いていたのだが、社内でも公認で、あと2つ別の仕事をしていた。1つはスタジオ・ミュージシャン。プロのドラマーなのだ。元々若いころからずっと音楽をやっており、有名なアイドル・グループのバック・バンドとして大昔には紅白にも出たことがあるとか。今では仕事数を減らしているが、駆け出しのアイドルのCDレコーディングやツアーなどで演奏したりしていた。僕はバンドを辞めて働くと言ったわけなので、いきなり先輩に音楽のことをわかってくれる人(しかもプロだ)が居たことに、どこか迷惑な気持ちもあったが、かわいがってもらえたこともありありがたかった。そして、もう1つの仕事は草野球の審判。東京では「草野球の審判」という仕事があるのだ。土日に試合をやるチームとアポを入れ、1試合5,000円ほどで審判をする。この頃、僕はまだ草野球をやってなかったのであまり関心はなかったのだが、仕事と音楽と野球なんて、楽しそうな人生だなと羨ましく思っていた。あとF1が大好きらしく、有給をとってどこかにF1を観に行ったりしていた。好き放題に生きているように見えた。


 これだけ多趣味で自由奔放に遊んでいる風なのだが、チカちゃんは社内でダントツに売上成績が良かった。間違いなくダントツにだ。レコーディングで何日か休んだとしても、社内で1番の成績を取り続けていた。今の僕が理想とするような生き方だ。本業も複数の趣味も一流。中日の山本昌みたいに。


 そしてこの仕事を辞めた後、日曜日にチカちゃんの仕事を何度か手伝ったことがある。荻窪の図書館で、次にはじまる営業先の卒業生の中から医者や弁護士、大学教授などをピックアップし、A、B、Cなど協賛してくれそうな順にランク分けしまとめておくという作業。もちろんそれぞれの簡単なバックボーンも調べられる範囲で調べる。これが意外と骨なのである。なるほど、これだけの下準備をするから営業成績が良いんだなと思った。思いつきで喋る営業トークだけじゃないんだなと。今で言う「最高の準備」というやつだ。


 そして「じゃ、俺午後から草野球の審判あるから、あとお願いね」といって、チカちゃんは自転車で荻窪から上井草の球場まで行ってしまう。僕は、チカちゃんが午後作業できない分のヘルプなのだ。残りの仕事を片付けて終わったら、夕方上井草の球場にまとめた資料を持っていく。


 そこでぼんやりとベンチに座り、チカちゃんが審判をやってる試合を眺めていた。もちろん、その3年後に自分がこの球場で野球をする側にまわっているなんてことは、知りもせず。


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 草野球の審判は1人である。すべてのプレーのジャッジをするわけで、普通の内野ゴロでも1塁近くまで駆けて行く必要がある。草野球だからとんでもないエラーも多く、審判が一番油断できない。けっこう忙しいそうである。また、セットポジションで動作が静止してないことを投手に注意したりしていた。「次同じことやったら、ボークとるよ」。草野球といえども、意外とちゃんとやってんだなと思ったのを覚えている。


 その後、僕が携帯を持たなくなったことがあり、それから連絡がつかなくなってしまった。チカちゃんには連絡先を伝えるべきだったかもしれないが、なんとなくそのまま放置にしてしまった。人はたまに過去を置き去りにすることに躊躇しないことがある。


 そして僕が草野球をはじめて、いつかどこかでチカちゃんとばったり出逢うんじゃないかとも思っていた。しかし、もう二度と僕らが逢うことはなかった。東京は、誰かと誰かが偶然出逢えるほど、小さくはない。あるいは、なにかを望めば望むほど、それが遠ざかってしまうという一般論の方に近いのかもしれないが。


◆「チカちゃん」 - Not Found