『ティファニーで朝食を』を読んで

 最初に読んだときに魅力を感じない小説というのは、何度読んでもおもしろく感じないことが多いのです、少なくとも僕にとっては。カフカの『城』のように。味覚や音楽のように年齢をとれば感じ方も変わる、ということはなく、受けつけないものは受けつけないと。しかし、どういうわけか、この『ティファニーで朝食を』は、今ならおもしろく読めそうだという予感のようなものがあり、実際に手にとってページを捲ってみると、これまでには感じたことのないホリー・ゴライトリーの魅力をぐっと感じました。不思議な事に。


 その要因のひとつは、素直に読み進められたということでしょうか。というのも、僕は勝手に、このタイトルの響きから優雅さ華やかさを連想しており、ヒロインであるゴライトリーのクレイジーな言動にギャップを感じてしまっていたことがあるでしょう(僕は映画「ティファニーで朝食を」は観てないのだが、観ている人も似たような違和感を感じているそうだ)。しかし今回は、村上春樹流に「描写を楽しもう」という視点で読み進めたため、余計な先入観なく物語に没頭できたのかもしれません。視点を変える、固定観念を取り払うといのは大事ですね。


 そして、最後にひとつ気づいたのが、この物語は、「家」「場所」を中心に展開しているということです。冒頭は、こうあります。

 以前暮らしていた場所のことを、何かにつけてふと思い出す。どんな家に住んでいたか、近辺にどんなものがあったか、そんなことを。たとえばニューヨークに出てきて最初に僕が住んだのは、イーストサイド七十二丁目あたりにあるおなじみのブラウンストーンの建物だった。(中略)とはいえ、ポケットに手を入れてそのアパートメントの鍵に触れるたびに、僕の心は浮き立った。たしかにさえない部屋ではあったものの、そこは僕が生まれて初めて手にした自分だけの場所だった。僕の蔵書が置かれ、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立ての中で削られるのを待っていた。作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。


 昔住んでいた場所を思い返すことは、僕もちょくちょくあります。そして、(僕でなくとも)誰であっても、その住んでいた場所に素敵な思い出があるはずです(もちろん、その逆も同じくらいあるだろうけど)。そういったところから出発した物語だということに、今はじめて気づき、ロマンスのようなものを感じました。おそらく、この物語が広く読まれているのは、多くの人間に「自分が昔居た場所」を思い起こさせ、この主人公のようにスリリングな生活を送っていたことを蘇らせてくれるからかもしれません。僕も、これまで何度か引っ越して、住まいを変えて来ましたが、その家々を思い出してしまいました。


【送料無料】ティファニーで朝食を

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価格:580円(税込、送料別)

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
第二次大戦下のニューヨークで、居並びセレブの求愛をさらりとかわし、社交界を自在に泳ぐ新人女優ホリー・ゴライトリー。気まぐれで可憐、そして天真爛漫な階下の住人に近づきたい、駆け出し小説家の僕の部屋の呼び鈴を、夜更けに鳴らしたのは他ならぬホリーだった…。表題作ほか、端正な文体と魅力あふれる人物造形で著者の名声を不動のものにした作品集を、清新な新訳でおくる。

【目次】(「BOOK」データベースより)
ティファニーで朝食を/花盛りの家/ダイアモンドのギター/クリスマスの思い出

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
カポーティ,トルーマン(Capote,Truman)
1924-1984。ルイジアナ州ニューオーリンズ生れ。21歳の時「ミリアム」でO・ヘンリ賞を受賞(同賞は計3回受賞)。’48年『遠い声 遠い部屋』を刊行、早熟の天才ー恐るべき子供、と注目を浴びた。晩年はアルコールと薬物中毒に苦しみ、ハリウッドの友人宅で急死した

村上春樹(ムラカミハルキ)
1949年京都府生れ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)