『走ることについて語るときに僕の語ること』感想

 個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、すべてあくまで副次的なことでしかない。僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的な――どんな些細なことでもいいから、なるたけ具体的な――教訓を学び取っていくことである。そして時間をかけて歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に近接することだ(うん、おそらくこちらの方がより適切な表現だろう)。


 誰かが好きなことについて語るのを聞いているのは決して悪くない気分である。ましてや、その誰かの好きなことが僕の好きなことでもあれば、なおさらだ。僕らはこうやって価値観を共有し、世界観を深めていくのだろう。だから思うに、好きなことに対するこだわりや哲学やスタンスなんてものは、どんどん語っておくべきなのだ。それが的外れで、誰にも理解さなかったり、否定されたとしても、語ることは必要なことだと思う。そしてとにかく語ることによって、自分のこだわりやスタイルってものがよりソフィスティケートされ、より明確に形づいていくのだろう。


 ということで、“僕”の走ることについて。


 そもそも僕は、小・中学校の頃、短い距離を走るのは得意だったが、長い距離を走ることはめっぽう嫌いだった。少年野球では、練習前のウォーミングアップのランニング(グラウンド2週くらいなのだが)が一番嫌いな練習メニューだったくらいだ。また、野球もバレーもどちらかといえば瞬発力のスポーツで、集中力は一瞬ずつでいい。野球なんて何もしてない時間の方がはるかに長いし、バレーだって点が入るたびにプレーが途切れる。つまりまとめるとこうなる。野球やバレーはいちいち止まることが許されるスポーツで、ランは一度動きはじめると止まることはできない。ペースを上げるのも、おさえるのも、走りながら調整しなければいけない。つまり休み休みできるかできないかが、僕の中で好き嫌いを分ける重要なポイントなのだろう。


 また、走っていてよく思い出すのが、昔の部活で複雑なサインプレーの練習をしていたときの出来事。「頭が良くないとスポーツなんてできない!」と注意され、「ただまっすぐ走るだけの競技と違って、俺達は頭使って、考えてやるだよ!」みたいに激を飛ばされたわけさ。そこで自分たちはとても高度なチーム・スポーツにトライしているんだと優越感に浸った記憶がある。ところが、今となってみれば、それはとんでもなく的外れな話であって、傍から見ればただまっすぐ走るだけであっても、当の本人の頭は洗濯機のドラム並にフル回転なのである。現状タイムとペースに対し現状コンディションやこの先のコースの高低差などを考えながら走らなければいけない。そして、先にの述べた通り、立ち止まって考えるわけにはいかないから余計にパワーを使うし、想像以上に冷静な判断力や疲労している自分に鞭打つ強さが必要になってくる。


 まあそんな感じで「長い距離を走る」というスポーツが僕にとっていかに馴染みがなく、すんなりとフィットしないものだということがわかる。というか、最近わかってきたところだ。


 でもじゃあなんで、そんな向いてないことをわざわざやっているのかというと、他にすることがないからだということになる。もしかしたら、できれば野球やバレーをやりたいというのが本音なのかもしれない。でも、現実的にそれは難しい。人を集めたり、場所を確保したり、それらの都合を調整したりするのって、とても神経を使う。だから、個人の都合でアクションを起こすことができる走るというスポーツは、やむなく残された最後の切り札みたいな存在なのである、僕にとって。


 と、再度ネガティブな要因しか出てこないのだが、それでもやっぱり走っているのは多分僕が天邪鬼だからだろう。やる意味がないからこそ、やるし、やめない。このロジックは、とても納得がいく。やめる理由がたくさんあるから、やっているということに。まあ、こんなだから、本番レースを走っていて楽しくないと感じてしまうんだろう。でも、走るからには、このマイナス要因すら飲み込んで、納得のいくタイムを弾き出すくらいまでやってみたい。きっと、そうすれば、“具体的な教訓”を学び取ることができるはずだから。それが、今僕の走ることについて語ることができる一つの事柄である。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、“少なくとも最後まで歩かなかった”と刻んでもらいたいー1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。

【目次】(「BOOK」データベースより)
前書き 選択事項としての苦しみ/第1章 2005年8月5日ハワイ州カウアイ島ー誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?/第2章 2005年8月14日ハワイ州カウアイ島ー人はどのようにして走る小説家になるのか/第3章 2005年9月1日ハワイ州カウアイ島ー真夏のアテネで最初の42キロを走る/第4章 2005年9月19日東京ー僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた/第5章 2005年10月3日マサチューセッツ州ケンブリッジーもしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても/第6章 1996年6月23日北海道サロマ潮ーもう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった/第7章 2005年10月30日マサチューセッツ州ケンブリッジーニューヨークの秋/第8章 2006年8月26日神奈川県の海岸にある町でー死ぬまで18歳/第9章 2006年10月1日新潟県村上市ー少なくとも最後まで歩かなかった/後書き 世界中の路上で

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
村上春樹(ムラカミハルキ)
1949年、京都生まれ、早稲田大学文学部演劇科卒業。79年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞、82年『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞、85年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞、96年『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞、99年『約束された場所で underground2』で桑原武夫学芸賞を受ける。2006年、フランツ・カフカ賞フランク・オコナー国際短編賞、07年、朝日賞、坪内逍遥大賞、09年、エルサレム賞、『1Q84』で毎日出版文化賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)