血液型のカラクリ

 香港人も中国人も台湾人も血液型には、さっぱり興味がないらしい。でも、日本人として生きていると、血液型には一定以上の信憑性はあるなと誰もが感じているだろう。なんだかんだ言って、A型の人はAっぽいし、B型の人は見ていればだいたいわかる、みたいな。でも、どうしてたった4種類しかない血液型の枠に人があてはまるのか、そのカラクリがわかってきたように思う。まず知り合いの香港人の話から。


 彼女は他の多くの香港人に違わず自分の血液型を知らなかった。でも日本人がことあるごとに血液型の話をするので、自分の血液型くらいは知りたいと思うようになったそうだ。で、いい具合に健康診断のタイミングがあったので、自分の血液型を調べてもらうことにした。そこで僕は日本人を代表して、彼女の血液型を当ててやろうという話になった。血液型ってけっこうわかるもんだぜ、信憑性あるんだぜってところを知らしめるためにも。僕は、彼女はおそらくB型かAB型だろうと予想した。なんとなくアウトローで落ち着きのない性格なのだ。そして彼女の母親はA型なんだという貴重な手がかりも掴めた(父親の血液型は不明)。となると、確率的にはAB型である可能性が高い。間違ってもA型ではない。そんな日本人的な予想を踏まえて、結果を楽しみに待っていた。で、結果が出た。



 結果は、なんと、A型だという。


 いやいやいや、A型だけは絶対ないだろう、Aなわけがない、なんかの間違いだ。と、僕は自分の予想が外れたこともあってか大否定した。で、彼女は意味もない人格否定をされつつ、なんだか双方とも釈然としない結果に終わったという話である。


 で、気づいたこと。


 日本人の場合は、このように自分の血液型と自分の性格が合っておらず、誰かから一方的に否定される経験は少なからずあるだろう。A型なのに几帳面じゃない(と他人には思われてた)とか、B型なのに協調性がある(と他人が言ってきた)など。となると、不思議と本人もおもしろくないと感じる。逆に、あ~O型ねわかるわかるとか、AB型っぽいなぁ〜、なんて言われると、自分のことを理解してもらえたようで嬉しかったりもする。その結果、知らず知らずのうちに、自分の性格を変えてしまったり、良くない一面であっても意図的に変えないようにしているのだ。自分の血の型に、思考や行動を寄せていく。日本の社会で生きていると、特に新しい学校や職場やグループに加わり血液型の話になるたびに、血液型に合わせた自分の性格調整を無意識のうちにしているのだろう。その結果、A型の人はA型らしく、B型の人はB型らしくなっていくに違いない。でも、そもそもこういった調整をしてない香港人、血液型別の特徴を知らない香港人は、A型でもガサツな人はいて当然なわけである。おそらく彼女は、もし自分の血液型を意識して生きていく気があるのなら、これから徐々にA型っぽく調整していくだろう。


 ということで、あくまで日本で生活をしている日本人にとっては、血液型というのはその人の性格の一面を表す信憑性のあるモノサシのひとつで間違いないと思う。だって、みずからその性格に合わせていっているのだから。