「島耕作」シリーズを読んで(途中)

 もちろん「島耕作」という漫画が存在することは昔から知っていたが、別段興味もなかった。そもそも漫画というものが、非現実性を描くために存在していると考えている節があったので、どうしてわざわざ平凡の象徴のような「サラリーマン」を舞台にした漫画なんかを読まなければいけないのだ、というのがこれまでの僕の考え。いつだったかに「島耕作が社長になった」というヤフー・ニュースが流れ話題になって、おもしろいなとは思ったが、それ以上の興味は沸かなかったことを覚えている。空を飛んだり、過去や未来に行ったり、目から光線が出たり、不死身の人間が居たり、巨人が出てきたり、奇跡の逆転勝ちやジャイアント・キリングが続いたり、美女と野獣のありそうもない恋愛ストーリーこそが漫画であると考えていたのだ。


 とはいえ、先日「アメトーーク」で取り上げられたことをきっかけに、なんだかんだでサラリーマンを長年続け、そしてこれからも続けていく身になってみると、「どれ読んでみようかな」という気になった。「BookLive!」という電子書籍ストアでは、島耕作各シリーズの1巻は無料で、まとめ買い20%オフだったので、自分と同じ立場である「課長」シリーズと、「学生」シリーズを購入(期間限定だったので、20%オフはもうやってないかも。ちなみに中国語版は、全シリーズ全巻無料らしい)。計23冊で9,072円のお買い物。


 僕はこの漫画を読みながら、先にも書いたように「平凡を舞台とした漫画」に興味を惹かれ、楽しんで読んでいる自分が居ることに対し老けたなと感じた。漫画への感想というより、自分に対する客観的な哀愁がまず思い浮かんだわけだ。


 ところで、島耕作という漫画は「出世」と「女」の物語だとよく形容されるが、それ以外にも「死」というものが容赦なく描かれていることも醍醐味の一つのように思う。どんなに平凡でも、否、平凡な物語であるからこそ、「死」の存在感というものはヘヴィーにのしかかってくる。非現実的な物語では、死すらリアリティがない。


 もちろん、サラリーマンの漫画でも、仕事やプライベートに対して上手くいき過ぎているという非現実性はふんだんにある。ところが、要所々々で顔をのぞかせる「死」(または、転勤などによる別れ)というものに心が痛くなるも、物語は淡々と続いていくわけだ。そこはかとなくリアル。働くことよりも、誰かの死について考えさせられる物語なのかもしれない。