作文:自己紹介(リライト)

 日本語を勉強中の香港人「作文」を書いてみてくれと言われた。テーマは自己紹介で文字数は自由だとか。で、書いてみた。その後、書いたものを見せると「広東語で書いてください」とか言われた。聞いてねーよ今更おせーよと告げて、広東語の作文は無視することにしたのだが、せっかく書いたので、日本語版は一部加筆訂正し、ここにでも載せておく。

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【自己紹介】

1977年9月13日生まれ。乙女座。AB型。身長167.6センチメートル。体重64.8キログラム。BMI23.0。視力1.5(左右※レーシック手術済)。血圧59-96。スリー・サイズ非公開。メイド・イン・ジャパン。

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 もし僕がヤマダ電機の売り場に売られていたら、他店のどこよりも安い安心価格と共に、このようなスペック説明が書かれることだろう。もちろん、これだけのディスクリプションと本体の展示だけじゃ、誰も本製品の前で足を止めない。目の肥えた日本人はおろか、懐の肥えた中国人だって手に取らないし、目にも止めないことだろう。そこで、本製品に興味を持ってもらうために、別紙のパンフレットに目を通してもらうことをおすすめする。そのパンフレットには、さらにちょっと踏み込んだバックボーンまでも書いてあるのだ。

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 本製品は、日本でも一二を争う地味なゾーンである北陸地方でひっそりと産声を上げる。身体が弱かったため、両親、祖父母の元、徹底的に甘やかされ、育てられる。当然、人見知りで内弁慶な人間となる。加えて喘息持ちで、入退院を繰り返しつつ10歳まで毎日薬を飲むような子どもだったが、それでもなんとか人並みには成長した。中学では殴る蹴るは当たり前のスパルタの部活で鍛え上げられる。寡黙に耐え、禁欲的にゴールに向かって走り続け、それ相応の結果を残した。しかし一転、高校ではその反動でろくでもない3年間を過ごす。真面目じゃないことに、一定の価値とカッコ良さがあるものだと勘違いしたのだ(この年頃では誰でも同じかもしれないが)。そして当時は京都への進学を強く希望していたが、結果的に東京に出ることになる。東京を選んだ理由として、当時の先生から「とにかく人の多いところに行った方がいい。東京へは日本中のいろんな地域から個性豊かな人間が上京してくる。こんな田舎では想像できない、様々な人間から受ける刺激は京都の比じゃない」というアドバイスが一番の決め手となった。僕はこれまで、人の少ない方に、目立たない方にというどちらかというと逃げの道を選ぶことが多かったのだが、その選択基準を変えての進路決定だった。人の多いところに、自ら出ていく。


 果たして、東京で、とにかくありとあらゆる種類の人間と出逢うことになった。そして、20代という人生でももっとも吸収力のある10年間のほとんどを東京で過ごしたためか、大きく人格を変えられることとなる。もちろん良い意味でだ。人の集まるとこには、何かしらのエンターテイメントが潜んでいる。人が集まってくれば、何かしらのアイデアとパワーが生まれる。そして人を集めるには、自分の魅力を精一杯主張することが必要不可欠である。これまでにまったく興味の無かった、他人というものに対して少なからずの関心を抱きはじめたのがこの頃である。


 その後、一旦北陸の片隅に戻り、ひっそりと静かな毎日を送り死んでいくのかと思いきや、香港という縁もゆかりもない海外の大都市に出てくることになる。世界でも有数の人口密度を誇る、香港。世界中のいろんなところから個性豊かな人間が集まってくる、香港。そして、2017年、今に至る。ナウ・オン・セール。

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 本製品はまだ未完成です。あなたの手で、理想の形に仕上げていってください。