香港の夜の散歩は好多cockroach(リライト)

 なんとなく夜中の2時半に散歩することにした。別にTVゲームをしたいわけでもなかったし、テレビも見飽きた(ちょうど全6話あるNHKのドラマ版「八日目の蝉」を見終えたあとだ)。そして何と言っても特に眠くならなかったというのが大きな理由のひとつである。まあとにかく、家の中ですることがなくなってしまったので家の外に出て行くことにしたのだ。そして、そういえば二十歳くらいのときもよくよく真夜中に外に出ていたなということを思い出した。


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 そのときは東京の上石神井というところに住んでいた。どこに行くにも自転車が活躍しており、昼はまっすぐ目的地に向けてペダルを漕いでいたが、夜は行き当たりばったりでハンドルを左右に傾けていた。GoogleMapもない時代だ。知らない道を発見し走り抜くことで、コロンブスがアメリカ大陸を発見し上陸したときのような興奮と達成感を感じていた。


 その頃の僕は交友関係もごくごく限られたもので、頻繁に連絡をとりあうような女の子もいなかった。「東京」という日本の中心部にいながら、僕は六畳ロフト付きのアパートの103号室でずっと1人の時間を過ごしていた。そしてそのことに特に苦痛や劣等感も感じていなかった。むしろ1人で居ることで僕はハングリーでもありストイックでもあったような気がする。音楽を聴き、小説を読み漁ることで、何より自分が成長し武装されていくように思っていた。とにかく1人きりで、僕1人の判断で膨大な時間を消費することが許されていたのだ。ので、東京での生活も2年を過ぎた頃だったが、特にこれと言ったトピックもない平穏なものだった。東京とかいうけど、たいしたことなんて何も起こらないなとさえ思っていた。その後、国分寺に引っ越してからは、アクの強い多くの男や女(特に女だ)が僕の目の前に現れては去っていった。その何人かは僕を面倒なことに巻き込み、僕もその何人かにろくでもない迷惑を振りかけた。そういった時期に差し掛かる少し前の、とても穏やかで静かな東京生活を送っていた頃の真夜中のことを思い出したのだ。


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 で、その頃から早20年が経とうとしている。20年だ。僕は香港の街の、飴色の街灯と品のないネオンの隙間を1人で歩いている。20年前の深夜の東京で自転車を漕いでいた自分と、今の真夜中の香港を歩いている自分が繋がっているとは到底思えないくらい色々な物事が変化している。当たり前といえば当たり前なのだが。


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 そして、散歩から帰ってきて、この文章を書いているうちに太陽が空の色を変えはじめてきた。東京では、夜更かしをしたり、ごく限られた友人と飲み明かし始発電車を待つときに、このアンニュイな夜明けを何度も見てきた。ところが二十代の中盤以降、こんな明け方まで起きていることはまったくなくなってしまっていた。そう考えると少しさみしいような気もしてくる。夜中や夜明けに、1人で耳を澄まし、自分の身のまわりりの世界を見つめ、感じ直すことは案外大事なことなのかもしれない。自分の立ち位置がおぼろげながらにも見えてくるからだ。今日はそんなことを感じた夜だった。次の20年後、僕はどこに居て、何を感じる人間になっているのだろうか?


 おやすみなさい、そしておはよう香港。僕は今から、二十歳の頃のように目覚ましをかけずに眠りにつきます。