計算機の思い出

 小学校の頃、公文式に通っており、「計算」をすることは自分の得意分野のひとつだった。算数は好きな授業のひとつであり、当然テストも厭ではなかった。ただ、一般的に、算数とか計算を苦とする人間も多く、ある日、こんな文句が挙がったことを覚えている。「先生、算数の時間は、計算機を持ってきて、計算機で計算してもいいですか!?


 当然、先生はダメだという。でも計算機の方が速く正確に計算できるから、その方が良いだろうと反論が出る。それにこの世の中に計算機というものがあるのなら、それを使わない方がおかしい。どうして便利な道具を使ってはいけないのですかと。とても理にかなった意見だ。しかし、僕としては得意分野の計算なんだから、計算機などを使われることに反対である。それだとみんながそれ相応に良い点数を獲れてしまうことになるので、自分の特技を取り上げられるようなものだ。で、子どもながらの正論と、教育という名のものと理不尽がぶつかり合い、僕としては不利とはわかっていながらも計算機反対の立場のなかで、先生がこんなことを言ったことを覚えている。「そのうち大人になったら、計算するときは計算機しか使わなくなります。だから、今のうちだけでも自分の頭を使って計算するようにしてください」。


 その後、どういう風に、このいちゃもんがおさまったか覚えていないが、僕は、自分の支持する政党から放たれた「大人は、計算するとき必ず計算機を使う」という裏事実にショックを受けた。僕がいくら自力での「計算」を得意とし、今後磨いていったところで、機械の計算なんかに敵うわけがないし、大人になったらまったく意味のない能力になるのかなと。


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 で、その頃から25年ほど経つのだが、実にまあその通りだ。暗算することもなければ、紙に計算式を書いて計算することもない。ちょっとした足し算引き算も全部計算機だ。会議で数字の話が出ると、一斉に計算機を取り出して検証するシーンなどよく見る。そして平均値や進捗率や昨年対比率など、更に細かい計算が必要になったときは、エクセルに頼らざるを得ない。つまり懸念は当たっており、算数的な計算力などいくらあったところで、計算機の使い方(僕はいまだにM+とかM-の使い方を知らない)や、エクセルの計算式を知っている方が、膨大な数を処理し、把握できるわけだ。


 もちろん小学生の算数や計算、暗算や筆算というステップは、頭の体操みたいなもので、いくらゆとりでも、削ってはいけないカリキュラムだと思う。でも、僕は計算機を叩く度に、「ああ、本当に大人って計算機ばっかり使うんだな」と、小学校の頃の出来事を思い出してしまう。僕の計算能力というのは、小学校でだけの活躍で終わったなと。そして、ここまで計算機が当たり前に存在するのであれば、計算機を使う授業ってのも有りなんじゃないのかなとも今さらながら思う。まあ、今では導入されているのかもしれないが。