香港に来て1ヶ月が経ちました

 まだ1ヶ月かというのが、正直な感想。まあ、1月からそれなりの日数を香港で過ごしているせいもあるのかもしれないが、ずーっと昔から香港に居ると言われても不思議じゃない気がしているくらいだ。香港という国は、一般的にとにかくスピード感にあふれており、時間の流れが早く感じるとよく聞くが、僕はあまりそうは思わない。これが良いことなのか悪いことなのかわからないが。


 また、生活のリズムも、たいした変化はないように思える。当然、同じ会社に勤めているので、環境は違えど、やっていることには大差はない。幸か不幸か、まわりに日本語を喋ることができるスタッフが多いため、基本的には日本語だけで会話は可能だし、家に帰っても、日本のテレビ、日本でやっていたオンラインゲームができる。当然iPhoneをタッチすれば、これまでと同じアプリがあり、これまでと同じ音楽を聴くことができる。日本に居た頃と、生活の軸のようなものは変わっていないのだ。今後、週に1~2度は広東語のレッスンはあるのだが、変化と言えばそれくらいかもしれない。ただ、出張時はなんともなかったが、最近では外食をすると、高アベレージでお腹を壊す。となると必然的に日系のお店に行くようになり、出費がかさむ。簡単な家計簿アプリをつけるようにした。この点に関しては、少し不自由さを感じている。


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 で、何が言いたいかというと、「海外転勤」とか「海外生活」とか大袈裟に聞こえるけど、実際に暮らしてみると、そこまで劇的な変化なんてないなということ。大きな理由としては、テレビなりネットなりが、僕と日本を繋いでくれているからだと思う。そもそも日本に居たってfacebook上でしかコンタクトがない友人もいる。その距離感というのは、日本に居ようが香港に居ようがまったく関係ない。東京から金沢に帰省したときにも感じた、違和感のなさと同じだ。どこに居たって一緒じゃん、と。


 一方で、「海外」を感じる瞬間というのが、食事と金だ。「食」というものに関しては、言わずもがなだが、地域の特色がモロに出る。もちろんファストフードなど、均一化されたものもあるが、そこで生活するとなると、現地の食事を口にせざるをえない。「こんなもん食ってんのかよ」とか「変な食い方してんな」とか、ここに一番のカルチャー・ショックを感じている。もちろんネガティブなことばかりではなく「こんな美味いもんあんのかよ」ってこともあるのだが。だからなのか、食に関しては、香港に来て、非常によく考えてしまうことの一つだ。人間の「食べる」という行為ってなんなんだろう。子どもが一度は疑問に思う、生き物を殺してまで食べるってことの意味合いってなんなんだろうってことが、改めて気になってしまう。食文化の違いってものから、そこまで考えが居たってしまうほどなのだ。


 そして、為替や物価という、日本円だけで生活していると、考える機会のない現実にもぶち当たる。もちろん、香港人の金に関する考え方は、僕らと違うことに気付く。そして金に関する考え方が違えば、仕事に対しての考え方も違う。でもこのあたりは、個人差、能力差もあるし、為替や物価にしても把握してしまえばそれまでであるが、日本に居たら考えもしない価値観に気付かされたと思っている。


 とはいえ、まだ1ヶ月。そのうち日本と行き来する機会も出てくる。そうなったときに、日本の良さ、香港の良さが再認識できれば、海外で暮らしたことでの劇的な変化というのがはっきり出てくると思っている。