角田光代著『八日目の蝉』を読んで

 元々は読売新聞夕刊の連載小説だったらしい。その後2007年に単行本化され、2010年にドラマ化、2011年には映画化。映画化された当時、プロモーション・ビデオが秀逸で、かつ意味深なタイトル、そして「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。」といったキャッチコピーにも興味を惹かれたが、なんとなく見逃してしまったことを覚えている。


 その後、仕事の休憩中につけたテレビで偶然この映画を観かけ、ストーリー、展開にぐいぐいひきこまれたので、文庫を買ってみた。途中まで観た映画もおもしろかったが、小説でもかなり読み応えがあった。


 映画では、誘拐犯(永作博美)を中心に描いたシーンと、誘拐された幼女の大人になってから(井上真央)のシーンが代わる代わるに登場する。昔と今の話が同時進行で語られるのだ。で、この2つの話、2人の女が徐々に結びついていく展開が上手いなと思った。一方、小説では、第1章で、誘拐犯の物語が一気に語られ、第2章で主人公が入れ替わり、大人になった被害者が、自分の過去を探していくという展開をみせる(第2章の構成が映画のシナリオに近い)。その中で、第1章で曖昧なまま取り残されたり、謎のまま進んでしまった話の補足がされているので、物語の世界に奥行きができて、どっぷり色濃く浸ることができるわけだ。非常におもしろく、緻密なプロットだなと感心した。そしてどういうわけか、ノン・フィクションを読んでいるようなリアリティも感じた。三億円事件や東大紛争とならんで、このような事件が実際にあたっと言われても、まったく疑わないくらいに。


 確かに「母性」というものが、この作品のキーワードであるが、僕は「誰か(家族から)から見切られる(引き剥がされる)人」が多く登場する部分に僕は心を揺さぶられた。特に、小説の序盤に登場する中村とみ子という、行政から立ち退きを強いられている家で、頑なに1人で暮らしている老人が登場するのだが、この老婆のインパクトが強い。あげく、実の娘にぞんざいに扱われるも、頑固な態度をみせる痛々しさもひどい。こういった「ひどい人」に対して、不思議と同情してしまう気持ちが芽生えるのが、この物語の不思議かつ魅力的な部分だと思っている。


 ちなみに角田さんの作品は読みやすくて、世界観も好き。女子女子したラヴ臭がしないので安心して読める。次は途中までしか観ていない映画版も観ておきたい。


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