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ハトと鷹、女を取られる男と女を取った男

note

 なんとなく見かけたエントリー。


◆ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。 | JIBURi.com (2013.10/25)


 僕は、この手の話を見ると、決まってビートたけしの『教祖誕生』という小説の冒頭のシーンを思い出します。


 概要を説明すると、とある山間の村で傷ついたハトを拾った親子と、すぐ近くの別の山間部で同じように傷ついた鷹を拾った老夫婦が登場します。両者とも弱った鳥をたいせつに看病し、飛び立てるようになるまで大事に大事に世話をするわけです。そして、「そのときは来た」と大空に返すことにするのですが、飛び立った後まもなく、親子に看病してもらったハトが老夫婦の世話になった鷹に襲われてしまいます。当然、親子は嘆き悲しみますが、老夫婦は「よくぞここまで」と誇らしげに思うという内容。


 ちなみに僕がこの『教祖誕生』を思い出すのには、ちょっとした理由があります。それは、予備校時代の模擬テスト、現代文の問題として読んだということです。テストの問題なのに、普通に読書をするような感覚で文章を読んでおり、すごくおもしろい視点の物語だなと思ったわけです。うむうむ、それでどうなるんだ、みたいに読み進めていったことを覚えています。テストの問題文なのでたいした分量ではないと思うのですが、非常に読み応えもあったし、一本の映画を観たような満足感すら感じました。そして、問題文の最後の出典を見ると「ビートたけし」とあります。へえぇ、ビートたけしってこんな文章を描くんだと、テスト中に一人感心し、その後すぐに書店に走り、文庫本を買ってきたほどです。テスト中に出逢った印象深い話という意味で、特別な思い入れがあるわけです。


 ちなみにこのハトと鷹のエピソードは、主人公が女を他人に取られたという設定のメタファーとして描かれています。しかし、その後の本編はまったく別の方向、まあタイトルとおりの宗教の話になるので、冒頭のエピソードほどのインパクトがなかったというのが正直な感想ではありますが。


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 何が善で何が悪かなんて、立場が変わればまったく違った見え方がされます。というか、人間誰しも自分側が「善」だと信じこんで行動しているものです。でも、その裏側で違った見え方がされており、ある一定割合以上は、当人の思ったこととは真逆の感情を持たれるのが常。良かれと思ってやったことがどうとやらといった風に。まあただ、イチイチ他人の立場なんてものを考えていては、自分が貧乏クジをひくような結果にしかならないんですけどね。キレイ事なんてドラマや小説の中だけです。世の中はやったもの勝ちという風にできています。『教祖誕生』の冒頭シーンのように。


【ストーリー】
暇を持て余す大学生の和夫(萩原聖人)はその布教活動のインチキ臭さに興味をひかれ、とある新興宗教団体に加わる。浮浪者あがりの男(下條正巳)を教祖に据えた怪しい教団ー。その内部では、宗教を金儲けの手段と考え、教団を裏で牛耳っている主管の司馬(ビートたけし)、経理担当の呉(岸部一徳)と、純粋に教祖を崇める真面目な青年部リーダー・駒村(玉置浩二)が対立を深めていた。そんな折、司馬の怒りをかって教団を追われる事になった教祖に代わり、二代目の教祖として、和夫に白羽の矢が立てられるのだが・・・。
【解説】
見よ、公開から17年の時を経て、あの教祖が再臨するー。ビートたけし原作!豪華キャスト競演で贈る、ブラックな笑いに溢れた“神への挑戦状"!世紀末を揺るがした、衝撃の問題作。