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僕の嫌いだった星野仙一と77番物語

 今これを描いているのは、11月2日の17時過ぎで、日本シリーズ5戦目のプレイボール前。まあシリーズ途中にこんなことを言ってもしょうがないのだが、もういい加減、星野仙一監督も日本一になっていいんじゃないのかなと思っています。


 ちなみに30代以上のドランゴズ・ファンのほとんどは、おそらく星野仙一が嫌いでしょう。理由は簡単で、あれだけドラゴンズの象徴として確固たる地位にあった人間がいともあっさり他球団の監督のオファーを受け入れたから。まあ僕自身、星野氏が著書の中でも堂々と「もともと阪神ファン」ということを公言していたので、いつかもしかしたら、もしかしたら阪神の監督になるんじゃないかとは薄々懸念はしていました。ですが、1999年にリーグ優勝し、翌2000年も2位と好成績をおさめながらも2001年に5位と低迷したことからドラゴンズの監督を退任したかと思うと、間髪入れずに即阪神の監督となる旨のニュースが流れ、驚くのを通り越して呆れてしまったのを覚えています。ああ、もうコイツはないなと。ドラゴンズの監督をやっていた頃から阪神のオファーを待っていたんじゃないかとすら思えてきたくらいです。そしてまわりにいたドラゴンズ・ファンも一様に同じ意見でした。星野には失望した、と。そして、2008年の北京オリンピックの惨敗ぶりをみて、もう巨人のオーナー以上に嫌いな存在になっていき、それこそ顔も見たくないし、なんなら氏の代名詞的な背番号である「77」という数字を見ただけでも気分が悪くなるようになりました。ので、楽天の監督就任の話を聞いたときも「ふうん」くらいにしか思いませんでした。


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 そして今年の楽天の快進撃で、否が応でも「星野情報」みたいなものをちょくちょく目にするようになり、まず第一に感じたのが、この人もおじいちゃんになったなということ。で、そういった老いを感じ取ってしまったからか、かつてのように憎いという感情はなくなっていきました。そしてドラゴンズでの活躍というものも、しみじみ回想し、認めざるを得ない部分も浮かんでくるわけです。


 片や対照的に高木監督の元、弱体化していくドラゴンズをみていると、そもそも僕が熱狂的にドラゴンズを応援していたのも、2回あった星野政権時代に集中しており、途中の第一次高木監督時代(1992~1995年)は、まったくと言っていいほど野球には興味がなかったのです(今でも高校時代の友人に逢うと、「お前そんなに野球好きやったっけ?」と言われます)。そうして考えると、星野さんを目にする度に、イライラしているのも大人気ないなと思うようになってきたわけです。


 だからね、もういい加減、日本一になってもいいんじゃないかなと思うんです。先日亡くなられた川上哲治さんが巨人V9時代の監督として背負っていた背番号は77。星野監督は川上さんにあやかって、背番号を77にしています。世間的には「川上=巨人」で、巨人が優勝することで川上さんが喜ぶみたいな見方をするかもしれませんが、楽天側には川上さんを心よりリスペクトしている老将がおり、その77の背番号が宙に舞うことでも充分川上さんは嬉しく思われるでしょう。


 そうこうしているうちに時間は18時25分になりました。プレイボールまであと5分です。