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『バトル・ロワイアル』を読んで(1)

 僕の中でかなり思い入れのある作品です。ご存じの方も多いと思いますが、中学3年生のクラスメイトで殺し合いをするというストーリー。映画化の際に、国会で取り上げられるなど話題になり、知った人も多いはずです。単行本の初版は1999年で、映画化は2000年。こうして書くと随分昔の話ですね。それこそ1999年に生まれた子が中3になっているくらいです。


 ともかく僕がこの本を読むことになったのは、この本が世に出まわってしばらくしてから。バイト先の控え室に、とんとこの分厚い単行本が置かれていたのを覚えています。最初は「ゲームブックみたいな本だな」という印象を受けたのですが、誰の本かもわからないのでスルーしていました。すると、とある先輩が「えらいおもしろいで、もう読んだか?」と、その本を持って僕のところにやって来て、興奮気味に薦めてきました。「クラスメイトで殺し合うんやで~」と。で、思うに、僕がそのような内容のものに飛びつくことはないので、おそらく断れなかったので、やむなく借りて読むことにしたのだと思います。そういうエグいのに興味なんだけどなぁと。しかし、読み終えたあとは、僕もまわりの知り合い全員に薦めていました。「これはマジでおもしろいわ!」と。当時は、僕のまわりでちょっとしたブームになっていました。


 で、その後、バトロワにあやかってか「最後の1人になるまで殺し合う」といったマンガや映画が次々に出てきたように思います。僕も「む、これはバトロワの再来だな」と心躍らせ手に取ったり、劇場に足を運んだりするわけですが、どうも肩透かしをくらってばかりでした。つまりバトロワを基準としてみると、どれも薄っぺらく感じるのです。そしていまだにバトル・ロワイアルを超える作品ってのには出逢えてません。


 これまでも何度も読み返しているのですが、今もう一度読んで、わかったことがあります。どうして僕がバトロワを超える作品に出逢えていないか――。この作品では、殺し合うという極限状態の心理のなか、生徒一人ひとりの個性が緻密に描かれ、読者はそれぞれの生徒に思い入れを持つようになります。ただ、この点に関しては、他の殺し合い物語も一緒。じゃ、何が違うのかというと、彼らが生きている「大東亜共和国」という架空の、でも非常にリアリティのある国が、非常に秀逸に描かれている部分です。北朝鮮のような独裁、そして情報統制、日本もかつてそうだった(準)鎖国体制、ファシズムなど、こういった負のシステムが重なり合ったら、今の日本でも殺しあいゲームが行われていても不思議じゃないなと思ってしまうほど。およそ非現実的な「殺し合い」の背景は、決して非現実的じゃないという舞台設定が、この作品をおもしろくしている一番の要素だと感じました。ノンフィクションになりうるフィクション。


 ともかく僕は当時21歳くらいで、読書といっても村上春樹村上龍くらいしか読んでいませんでした。しかし、『バトル・ロワイアル』を読んでからは、「世の中には、まだまだおもしろい小説が溢れている」と確信し、特定の作家にこだわらず本を手に取るようになったのです。これをきっかけに僕のスタンス、こだわりが大きく変わり、世界も広がったと思っています。


 そしてこういった毛色の作品は、歳を取ると感動も薄れてしまうのですが、今のところ、まだまだエキサイトできたことに、少し安心もしました。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
西暦一九九七年、東洋の全体主義国家、大東亜共和国。城岩中学三年B組の七原秋也ら四十二人は、修学旅行バスごと無人の島へと拉致され、政府主催の殺人実験を強制される。生還できるのはたった一人。そのためにはただクラスメイト全員を殺害するのみー。現代日本を震撼させたジェットコースターデスゲーム・ノヴェル、ついに文庫化。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
高見広春(タカミコウシュン)
1969年兵庫県生まれ、香川県育ち。大阪大学文学部美学科卒業、日本大学通信教育部文理学部中退。四国新聞社で五年間勤務後、『バトル・ロワイアル』でデビューした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)