東京オリンピックというボーダー

 2020年のオリンピック開催地が東京に決まったそうです。まず最初の僕の感想は「ふうん」くらいなもので、同じ日本とはいえ、地方と東京には大きな壁があるわけで、いわゆる「わくわくするぞ」的な高揚はまったく湧いてきませんでした。僕にとっては、マドリードでもイスタンブールでも東京でも、どこか遠い場所という点において変わりはないのです。そして、次に頭に浮かんだのが、「ああ、これで僕もがっつり歳をとってしまうな」ということでした。


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 まず昭和50年代生まれの僕であっても、最初の東京オリンピックが昭和39年に開かれたことはしっかり頭の中にインプットされています。「スポーツ懐かしの名場面、名シーン」みたいなテレビ番組で厭というほど見ているからです。そして、東洋の魔女だとかマラソンのアベベだとかカラーテレビの普及だとか、うんぬんかんぬん、当時のエピソードをしたり顔で語る年配のタレントさんの話を聞いていると、遠い昔(実際にはそんなに遠くはないのですが)の輝かしい歴史的イベントだったとしっかり覚えてしまいました。そういうこともあったんだなと。まあ残っている映像が白黒だったりするので、余計に「昔」という印象が強いんでしょうけどね。


 そして2020年、僕は40代になっています。東京オリンピックは日本に様々な感動と経済効果とそこから派生する多少の事件と負の遺産を残しつつも、自然の流れで伝説化され美化され、歴史的一大イベントとなります。その後2040年あたりには、世の中に「二度目の東京オリンピックを知らない人間」が出てきて、僕ら世代が「あのオリンピックの頃はな……」みたいな話をする番になっています。東京オリンピックを知らない世代が東京オリンピックを知っている世代になり、新しい東京オリンピックを知らない世代が生まれてくるわけです。そう考えると、一気に老けこんでしまうわけです。「昔話」として、東京オリンピックはこの上ない材料になるわけですから。まあ今からそんな心配してもしょうがないし、別にオリンピックがどこで行われようと、人は年老いていくわけなんですけどね。


 戦争を知らない子供たちと同じような感覚で、自分は東京オリンピックを知らない世代」だという自覚があったのですが、もうそうじゃなくなるわけです。それに対して、歳をとってしまうなと感じてしまうわけです。まあ経済効果だとか復興への明るいニュースだとかアスリートの育成だとかいってるなかの、小さな小さな個人的な意見ですけどね。