世界陸上を観た

 ドラクエ自粛期間。テレビを付けたらモスクワで行われている世界陸上がやっていたので、観ることにした。


 スポーツというものは、考えようによっては理不尽の塊みたいなもので、特に野球やアメフト、ラグビーなんて、なんでそこまで複雑なルールにしたのかと思えるくらいややこしいものである。サッカーやテニスといった比較的シンプルなルールの競技にしても、なんで11人で行うのか、ゴールはもっと大きくても良かったんじゃないか、なんでダブルスはあるのにトリプルはないのかとか、なんで一発で15点も入るのか、など不可思議な部分は多々ある。


 しかし、そんななかでも陸上競技は、非常にシンプルかつ人間的なものばかりだ。


 100メートル走。決められた距離を、いかに速く走るかという究極にシンプルな競技。アレンジ版として距離が長くなったり、ただ走るだけじゃつまらないってことで障害物を置いたりしたバージョンもあるが、どれもとてもわかりやすい。走り幅跳び。助走をとって、砂場に向かって、いかに遠くまで飛べるかを競う競技。これまた非常に単純明快。槍投げ、砲丸投げ、ハンマー投げ。誰かに当てると致死量のダメージを与えられる道具を、いかに遠くまで放れるかを競う競技。どれも野性的で動物的な身体能力を競うものばかりである。原始時代から、ずっと人間がやってることを、数字として弾き出して競う、記録として書き残して目標にするといった部分にスポーツとしてのおもしろさを盛り込んだわけだ。また、マラソン以外はどれも瞬間的なパワーの爆発が勝負を決めるわけなので、観ている方も、ポイントポイントでぐっと集中して観戦することができる。


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 で、僕がきのうテレビをつけて、そのとき偶然やっていた競技は、棒高跳びだった。棒高跳びぐぐぐとしなる棒を駆使して、高いところに設置された、これまた棒を落とさないようにひらりと跳び越える競技――。最初に、この競技を考えついた人は、何を思って、このようなルールを決めたのだろうか。自分の身体一つを武器とする「走り高跳び」がならわかるが、どうして棒を使ってまで、さらに高い所まで跳ぼうと思ったのか。それより「(走り高跳びと)かぶってんじゃん!」と常々思ってしまう。もし、棒高跳び君と走り高跳び君が、同じクラスにいたら、きっと仲悪いんだろうなと、余計な想像と心配もしてしまうくらいだ。そして、競技の代名詞である「棒」も、この競技でしか見ることのないような不自然なしなり方をする。そしてその驚異的なしなりとは裏腹に、決して折れることのない丈夫な棒である。そして、そんな棒を持って助走をとるというのも、他の陸上競技と比べると、なんだか非人間的で不自然な気がしてならない。数ある陸上の種目の中でも、「なんでお前がいるだよ(笑)」というような異色な存在なのだ。


 もちろん観ているとそれなりにおもしろい。5メートルを超える高さのジャンプには、超人的な豪快さと息を止めて観守ってしまう緊張があり、跳んでいる選手のフォームは非常に美しいものばかりだ。でも僕はどうしても「なんで棒を使ってるんだろう?」と思ってしまう。道具を使って争うのなら、重量上げも陸上競技に入れていいんじゃないかと思えてしまうのだ。まあどうだっていいんだけどね。