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足が太いことと歩くことと、車の話

 中学のときに読みあさっていた「ユニコーン」のインタビュー集の中にあった言葉で、今でも覚えているものがあります。音楽とはまったく関係ない話で、上京したての頃の奥田民生氏が「東京」について述べた次のような感想。「東京の女の人は歩き過ぎなのか、みんな足が太い」。


 まず、歩き過ぎると足が太くなるという因果関係に驚きもしたのですが、それ以上に、「東京の人は歩き過ぎる」というくだりの方が強烈にショッキングでした。田舎の中学生にとってみれば、都会の方が何かと文明が発達しているのだろうから歩いたり動いたりすることも少ないんじゃないのかな。田舎の人間の方が、走りまわったり歩きまわったりする必要があるだろうに、と不思議に思ったのです。だからこそ、こんなくだらないことを今でも覚えているのでしょうけど、「東京の人は歩き過ぎる」という事実は、東京に出て、そして金沢に帰ってきて実感することになります。正確には、「田舎の人間は歩かな過ぎる」という方が正しいようにも思います。


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 まず、歩く、歩かないを隔てる大きな要因となっているのは、。自動車です。東京で暮らしていると車など金銭的に所有できませんし、利便性的に所有する必要もありません。ので通勤を例にとるなら、家を出たら少なくとも駅まで歩くことになります。雨だろうが台風だろうが歩く以外に方法はありません。「駅まで徒歩10分」であれば、それなりに優良物件です。ので多くの人間は朝起きてから10分程度の「歩く」アクションが不可欠となります。そして駅に着いたは良いものの、電車で座席に座ることができるのは「始発駅」に住宅を構える選ばれし者達の中の、さらに要領の良い一部の勝ち組のみ。その他大勢は、立ったまま、ときには押し合いへし合いの並に揉まれながら通勤します。もちろん、中には何度かの乗り換えが必要で、乗り換え時も地味にテクテクと歩くことになります。それだけでもけっこうな運動と言えますし、場合によっては格闘と言っても過言ではないでしょう。


 一方、田舎で車がある生活はというと、家を出て駐車場までのほんの数歩程度、長く見積もっても1分程度しか動く必要はありません。そして車に乗ってしまえば基本座っているだけです。集中力こそ必要ですが、身体的な労働はほぼ皆無と言っていいでしょう。この毎日の通勤に関する運動量というのは、車があるとないとでは、まったく次元が違うものになります。そして、通勤という毎日の繰り返しから、いかなる場合でも、ちょっとした距離ですらも歩きたくない、車で行けばいいという考え方になってしまうのです。僕も帰省したての頃は、会社のすぐ近くのコンビニまで、例外なくみんな車で買い物に出かけていることに違和感を感じていました。ほんの100メートルくらいの距離のコンビニにです。「おい、この距離を車に乗るのかよ」とあきれていたのですが、今では僕もそのコンビニに向かうのに車を使っています。これだとやはり、東京の人は普通に歩くけど、田舎の人はほとんど歩かないといった方が適切な気がします。


 温暖化とか猛暑とか言いますが、これまた車で通勤していると、それもあまり実感しません。家から駐車場、駐車場から会社玄関と、「外」と触れている時間が極端に短いからです。


 ちなみに僕も上京して、確かに東京の女の人の足は太いと思いました。やっぱり歩いているからなんでしょうかね。でも足が太くなってもいいから、田舎の人はもっと外に出て歩くべきだなと思ってしまいます。