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クーラーと罪悪感

 僕が小学校の頃などはクーラーなんてものはなく、夏の涼を取る手段としては扇風機一強時代でした。しかし中学生になったあたりからクーラーというものが世の中に普及しはじめて、僕の部屋にも「これからの時代は当たり前です」みたいな顔でクーラーが導入されることになりました。ですが、僕個人はどうもクーラーから吐き出される人工的な涼しさというものに馴染めず、真夏の暑い時期でもクーラーをつけたという記憶はほとんどありません。先に「人工的な涼しさ」と書きましたが、そういった機能面ではなく、この新しく登場した贅沢品に対する理由なき抵抗心があったのかもしれません。僕はどうも扇風機の前でスイカを食べながら、ドリフを見るというのが夏の象徴のようなイメージがあったのです。クーラーの効いた部屋でコーラを飲みながらB'zを聴くなんてキザなことはしたくなかったという自分がいたのです。


 そしてその後も僕のクーラー嫌いは続き、ひとり暮らしがはじまってからは、「電気代がもったいない」という理由も加勢して、余計にクーラーをスイッチオンすることはありませんでした。幸運にも風通しの良い部屋に住み続けたということもあったのかもしれませんが、クーラーがなくとも苦だと感じた記憶はほとんどありません。


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 ところがです。ここ数年、夏にはクーラーに依存している生活になっている気がします。自分が歳をとったせいなのか、風通しの悪い環境になったせいなのか、地球全体が暑くなったせいなのか、もしくはこれらすべてが原因なのかはわかりませんが、家に帰ったらうがいをするような感覚で、クーラーをつけずにはいられないのです。不思議なもので、ある日クーラーをつけて過ごして、次の日もクーラーをつけると、もうその次の日は暑かろうが寒かろうがクーラーをつけざるを得ないようになってしまうです。生活のリズムの一部になってしまうのですね。そして僕はどうも古臭い人間なのか、クーラーを入れて涼しくなったら、それで快適だと感じれば良いのに、どうも贅沢をしてしまっていると小さいながらも罪悪感を感じてしまうのです。嗚呼、今日もクーラーをつけて過ごしてしまったよと。あのクーラーが稼働しているゴーといううねりを耳にすると、どうも余計なことを考えてしまいます。


 そして今日も帰ったら、クーラーの電源ボタンを押すのでしょう。クーラーの効いた部屋で過ごすことがどれだけの個人的メリットと世の中的デメリットがあるのか、たいしてわかりもせずに。