個人の成長について

北國新聞>時鐘 (2013.06/12)


 「みんなは一人のために。一人はみんなのために」。きれいごとに過ぎる名文句だが、具体的に指摘されると大事さに気づく。
 サッカーの本田圭佑選手が「もっと個の成長を」と言ったのも、本質は同じだ。チームワークの良さを誇る日本が世界の頂点に立つには「一人一人の個々の成長が、みんなのためになる」と26歳の若者は言ったのである。
(後略)


 最近話題になってる、本田選手の「個」発言。


 チームにとって大事なのは「和」か「個」かという考え方で、ここ数年で「個」を重要視する発言が目立っている気がする。一番最初に僕が「ほう」と思ったのは、2006年の第1回WBC後の王監督(当時)とイチローの対談で、両氏とも「チームのために」ではなく「自分のために」に強きを置いてプレイしている(していた)と語っていた。「チームのため」という考え方をしてしまっては、ある局面ではそれが「言い訳」になってしまい、自らを追い込むこともなく責任逃れをすることにもなりかねないと。例えば、「チームのためを思って、(ホントはあまり得意ではない)右打ちをしましたが、やっぱり上手くいきませんでした」という言い訳ができてしまうわけだ。ので、どんな場面でも自分がベストを尽くす、自分が納得できる自分のためのプレーをすることが最高のパフォーマンスなのだという考え方である。そのあたりから、プロ野球選手で「チームのためではなく、自分のためにプレイをする」という発言が増えてきた気がする。そして当時ドラゴンズで指揮をとっていた落合氏も似たようなことは常々口にしていた。選手は自分の能力を磨くことだけ考えればいい、それらをまとめてチームを動かすのは監督の仕事だと。


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 サッカーにおいては中田ヒデも似たようなことを言っていた気がする。ドイツ・ワールドカップの時期なので、奇しくもWBCと同じ2006年。システムがどうこう、チームワークがどうこう言う前に個人の能力だろと。でも、当時は、「またナカータは難しいことを言いはじめたぞ」と、むしろ吊し上げみたいな空気になっていたような記憶がある。それから6~7年経って、同じスポーツにおいて似たような発言が注目されるというのも皮肉だなと僕は感じた。時代がやっと追いついてきたのだろうけどね。


 で、僕も実際、「個人」ってすごく大事だと思う。「チームワーク」とか「チームバランス」ってやっぱりイチローや王さんの言う通り、ときとして言い訳になってしまい、特に僕らのような凡人はむしろ言い訳時にしか使用しない言葉、概念のようにも思う。また、現実問題、普通に就職して仕事をしていて、同じ部署や会社で偶然一緒になった誰かにドラマチックな結束力、団結力なんて期待してもしょうがない。同じ憧れを持って集まったバンドや、「好き」で集まった草野球チームじゃないわけだ。仕事で集まった人間同士なら、「自分の手柄」だけを考えてアクションすべきなんだろうなと、最近特に感じている。