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「いつの間にか、すっかり陽も長くなったねぇ」

 小さい頃の話。春の終わり、つまり今くらいの季節になると、ばあちゃんが決まって「いつの間にか、すっかり陽も長くなったねぇ」みたいなことを口にしていました。それも毎日毎日、毎年毎年、17時や18時くらいになると、時報のようにつぶやくわけです。「いつの間にか、すっかり陽も長くなったねぇ」。小学校くらいの僕はだからどうしたという気持ちで聞き流していました。というより、それ昨日もおとといも言ってたじゃんと。同じように秋が深まってくると「いつの間にか、すっかり陽が短くなったねぇ」とセリフが変わります。


 で、なんでそんなことを思い出したかというと、今この歳になってみて、春や秋の夕方になると、陽が長くなったことや短くなったことを気にするようになっていたからです。子どもの頃にどうでも良かったことに、いちいち「う~む」と感想を持つようになっていました。それも毎日毎日、夕方になる度に「ああ、この時間でもまだ明るいなぁ」と感じるわけです。別に感動しているわけでもないし、誰かに伝えたい発見でもないし、利益も不利益もないのですが、そう思ってしまうわけです。ばあちゃんが、毎日孫に(誰かに)「いつの間にか、すっかり陽も長くなったねぇ」と言う気持ちがわかってきたのです。


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 おそらく小学生の子どもにとってみれば、太陽がどの位置にあろうが17時なったら家に帰るとか18時になったら夕飯が出てくるとか19時になったらテレビを見るといった、「時間」に絶対的な縛りがあったわけです。ので、とある自然現象に感想を持つというような優先順位が、ものすごく低かったのでしょう。もちろん今の僕らにも時間的な拘束は山ほどあります。というか、あるように思えます。しかし、時間の拘束というのは、学校の授業、休み時間はもちろん、先に挙げた家の中でのルールを設けられていた子どもの頃のほうがよっぽど強かったはずです。小学校低学年の頃、僕は20時になると寝るようになっていました。大人になった今のように24時に寝ようと思っていたけど、ゲームがおもしろいから今日はあと1時間起きていようみたいなフレキシブルさなどありませんでした。そういう意味では、大人になると時間を自由に使えて、自然の変化に気づきを覚える余裕もできるのかもしれませんね。