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東京イコール

 僕が東京に出て、しばらくした頃に実家から電話がかかってきました。もしくは留守電にメッセージが入っていたのかもしれませんが、その辺はよく覚えていません。とにかく家族からの連絡がありました。内容は、家で猫を飼うことになりましたという報告で、名前はゲンにしました、雄です、とかそういうことでした。で、最後の方に妹が「これはホントの話ですよ~」とか言って電話が切られたので、僕は嘘っぽく聞こえて相手にしなかった記憶があります。というのも、これまで家で猫を飼う話は幾度と無く出ていたのですが、ばあちゃんが断固として反対しており、玄関先で餌をやる程度のことはあれど、ペットとして家の中で生活させることはなかったからです。一度、隠れて夜だけ2階の窓から猫を入れて、閉めきった1部屋だけでかくまい、朝になったら外に逃がすという手の込んだこともしてたくらいです(いつの間にかいなくなってしまったのですが)。だから、当時自分の家でペットを飼うということなど想像できませんでした。そんな話があるわけなかろうと。ですが、ゴールデン・ウィークだか夏休みだかで実家に戻ったときに、本当に猫が居て、なんだお前はみたいな目つきで出迎えられ、驚いたことを覚えています。ホントの話だったのかよと。


 つまり、ゲンという猫は僕の東京行きと入れ替わるようにして、僕の家にやってきたわけです。なので彼の年齢も僕の東京にいた年月と同じです(僕が金沢に戻ってくるまでは)。そういった「東京イコール」という、ある種のアイコンのような存在だなと、5月5日にたまたま用事があって実家に立ち寄ってご飯を食べながら、ゲンを見て思っていました。この老猫は僕が一度実家を離れたことの象徴であると。まあ常々思っていたことではありますが、そのときはしみじみと感じたことをはっきり覚えています。もう何歳になるんだろうか、金沢に帰ってきてからちゃんと計算してないや、などと。そして、その次の日です。深夜にメールが1通入ります。突然死んだと。


 原因はよくわからず、急に呻いたと思って見てみたら、もう息がなかったそうです。そういう意味では苦しみは一切なかったでしょう。もちろん、猫の苦しみや快楽がわかるわけではありませんが、そう考えるのがもっとも自然だと思います。そして、偶然この日は妹が実家に帰っており、家に迎え入れた人間たちのそばで息を引き取ったことも不幸中の幸いだったかもしれません。


 猫という生き物は、自分が死ぬ姿を誰にも見せないように死んでいくという話を聞いたことがあります。死期を感じたら、どこか遠くに行き、誰もいない家の軒下とか誰も来ないような物陰を見つけ、ここなら大丈夫、探せるものなら探してみろよと言わんばかりに満を持して目を閉じるのだとか。でも、のろまな猫だったので、そんな準備すらできなかったのでしょう。本人にとっては不本意な死に方だったかもしれませんが、飼っている人間にとってみれば、逃げ出してそのままいなくなるなんて、たまったもんじゃありません。


 そして、死というものすべてそうであるように、その喪失を意識させられるのは、ある程度の時間が経ってからなのだと思います。あの猫が僕にとって、どんな存在あり、何を与えてくれたのかは、もうしばらくたってから自覚することでしょう。とにかくおやすみなさい。