村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで

 読了。村上作品にしては、かなりライトな気がするし、ストーリー、プロットも非常にストレートな印象がする。新たなる境地としての無駄が削ぎ落とされた作品と表現するか、テレビドラマのような大衆化された作品と感じるかは人それぞれだろうが。


 主人公にしても、初期の頃にみられた「デタッチメント」を顕著に感じ、青豆やカフカのような前に進もうとするタフさがなかったように思う。そういう意味では、昔懐かしい気分に浸れたのも事実で、自分が大学生になっているような気分で読み進めていた。前のエントリーでも書いたように『ノルウェイの森』を、21世紀版として描くとこのような形になるのかなとも感じた。


 ところで、「巡礼」というワードが強く印象に残った。実際、ある程度の年齢になったら、過去を振り返り巡礼する必要性があることは強く同意する。そこにあった可能性と失われたものについての巡礼。僕もたまに東京に行くことがあると、これまでに住み暮らした町やマンションのある場所まで足を運ぶことがある。そこで何をしたいとか、何かを得られることなどないのだが、ただただ「行ってみたい」という気分になる。自分がそこに存在したことを「確かめてみたい」のかもしれない。こういう巡礼というアクションは、「人生の折り返し点」を過ぎた人間にとっては必要なことのようにも思えた作品だった。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
良いニュースと悪いニュースがある。多崎つくるにとって駅をつくることは、心を世界につなぎとめておくための営みだった。あるポイントまでは…。