努力は報われないし、裏切るもの

 とあるfacebookでのコメントで目にしたのだが、うむと思ったことがある。それはスポーツ選手のインタビュー記事に対する一般人の感想だった。「スポーツの良いところは色々ある。努力、鍛錬、忍耐、工夫、チームワーク、うんぬん。でも、自分がスポーツから学んだ一番の収穫は、“努力しても報われないことがある”ことを知ったことだ」と。


 努力が必ず報われるなら、ほぼすべての高校球児が甲子園に出場し、そのうちの大多数が優勝旗を手にすることになるだろう。それ以前に、野球部に所属する全選手が一桁の背番号を背負い、ベンチ入りしているはずだ。しかし当然のことならが、そうはらなない。どれだけ努力しても、最終的にはちょっとしたきっかけや巡り合わせやクジ運によって、その結果は大きく変わってくる。何だかよくわからないが、持ってる奴が笑うようにできている。とても理不尽な世界である。少なくとも僕はそう思っている。もちろん高校野球やスポーツに関わらず、すべての物事がだ。


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 たいてい僕らが目にするアスリートというのは、努力が報われた人間であり、彼らは口々に「努力は裏切らない」ことを強く主張する。それが彼らを形成しているもっとも芯の部分であり、彼らをスターたらしめている所以であることは疑いの余地もない。しかしその裏側で努力に裏切られた選手も数多く存在することは事実なのだ。だから凡庸な僕らのような人間にとっては、努力しても報われないことがあることに気づいた上で、それでも努力することを厭わないというスタンスが必要なんだと思う。努力が裏切るとか報われるかどうかではなく、努力することしかアプローチ方法はないという事実。だから「努力は裏切らない」なんて、サンタクロースのような迷信だと思う。「努力は往々にして僕らを裏切る。しかし誠に残念ながら努力するしか方法はない」というのが、真理ではないだろうか。


 最近思うのだが、成功している人の言葉というのは、次元が違いすぎて現実味がないような気がする。スポーツ分野でもビジネスの分野でも。それを鵜呑みにしても得るものは少ないのだ。それよりかは、何度かの挫折を知っている(努力に裏切られている)、ごく一般の誰かの言葉の方に、よりリアリティを感じる。facebookはてブのコメントでそういったものに出会えているような気がする。