卒業式に行ってきた

 今年も中学の卒業式に出席しました。でももうこれで最後でしょう。


 簡単に経緯をまとめておきますと、数年前に1年間だけ、中学校の部活の外部コーチをやっていました。今では顧問の先生とは別に学校関係者以外でも部活動の指導ができるそうです。とはいえ、月に6回しか休みがないので、たいして顔も出してないし、コーチ経験は素人同然なのでこれといった指導はしてないのですが、関わった生徒の卒業式には休みをとって出席するようにしていました。そして、当時の1年生が、この春卒業ということです。ちなみに過去2年は、第二土曜日に卒業式が行われていました。で、今年、年明けくらいに学校のホームページを見ると「3月9日(土):卒業式?」と書かれているのです。この日程でいくと、今年はどうしても休めない仕事があり、卒業式は無理だな、なんか申し訳ないなと思っていました。これまで2年間は卒業式に出席してたのに、最後の1年は出ないとか、当時の1年メンバーには、大人って冷たいなと思われるんじゃないかと。しかし、先週あたりに学校のホームページを再チェックしてみると、「3月12日:卒業式」との記載がありました。何故か式の日取りが変わっており、しかも偶然にもWBC観戦用にとった休みと重なっていたため出席することができました。どういうめぐりあわせか知りませんし、誰に感謝するわけでもないですが、偶然ってあるんですね。


 ともあれ、当時の中学1年生がもう卒業かということです。もうあれから3年経ったのかと。そして、彼らが中学3年間で成長したこと、学んだり覚えたり知ったり気づいたりしたこと、身体的にも精神的にも成長したことを仮に100とすると、自分は同じこの3年間で、どれだけの「学び」「成長」を遂げたのだろうかと考えてしまいます。3年前の自分と今の自分はほとんど一緒なんじゃないかなとも思えてしまいます。40くらいなんじゃないかと。もちろん15歳の成長と35歳の成長を同じレイヤーで考えることは不自然でしょうが、僕がこの卒業式に出席するにあたって考えてしまったことです。この3年で僕はどれだけ変わったのかなと。


 思えば、僕ら大人の日常には卒業式というようなゴール、区切りのようなものはありません。学年が上がったり、クラスが変わることもありません。運動会もなければ修学旅行もなく文化祭もありません。ただひたすら淡々と毎日を消化していってます。実は大人って不自由なのかもしれませんね。



▲「大地讃頌」卒業式にこの歌、唄うのってローカル文化?