写真を撮らなくなったことについて

 昔からよくカメラを持ち歩いて写真を撮っていたのだが、もうさっぱり撮ることもなくなった。理由は、撮影するようなイベント事や思い出に残したい風景の場所に出かけなくなったことと、出かけるときに「カメラ」というもの自体が荷物になり億劫さを感じるようになったこと。そして、なにげに一番の理由かもしれないが、僕のカメラの技術がたいして伸びなかったことが挙げられる。進歩が望めないと、前にも後ろにも進もうとはせず、逃げ去る道を人は選ぶのだ。まあこの辺は自分でも自覚しており、まあそんなこんなで、もう出かける度にカメラを持っていくこともないかなと思うようになった。一眼レフの「α200」も、いつでも売りに出せるように待機中である。


 ただ、僕は写真を撮っていた頃からある矛盾を感じてはいた。「“いつか”この景色や思い出を楽しむために、僕は“今”を犠牲にしているな」と。写真を撮るためにカメラを構え、何度か撮り直すことで、今この瞬間を純粋に楽しめてないよなと。そろそろシャッター・チャンスが来るからという理由で、目の前の出来事に没頭できていない自分がいるわけだ。写真を優先して考えてしまう自分に、違和感を感じながらシャッターを押していたのである。投資といえば聞こえはいいかもしれないが、自分のイメージする写真がどうしても撮れなかったので、これ以上の出資をする気もなくなってしまった。


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 そして別に僕が写真を撮らなくても、まわりの誰かが撮っているし、それをまとめてウェブで共有してくれる。だったらもう僕まで懸命にファインダーを覗く必要はないなというのが今の考え。こうやってこだわりを少しずつ捨てて、身軽になるのも悪く無いと思っている。