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作品展とパンとか肉とか

 現在「しいのき迎賓館」で武蔵野美術大学OB・OGによる作品展示が行われているらしいのです。「MUSABI ISHIKAWA 展・点5」。入場無料。明日27日まで開催。ムサビは妹の母校で、妹も何か作品を出しているとかいないとか言うので行ってみました。


 平日の11時過ぎ、外は暴風が吹き荒れ時折雪も舞っている19世紀のロシアのような閉塞感漂う天候だったためか、たいして人もおらず、妹はその2歳の娘と、暇そうに受付に座っていました。で、小さなスペースに、ムサビ関係者の作品が展示、販売されています。別に会場内は静粛にしなければいけないとか、品格を持って行動しなければならないなどということはなく、2歳の娘が走りまわったり、飴を配ったり、「これは鯉のぼりだよ。鯉のぼり。これは鯉のぼりさんです。あっ、鯉のぼりだ!」というような説明が永遠とあったりと、かなり自由です。そもそも僕ら以外は誰もいないのですが。


 ちなみに僕がこれまでに妹の作品を観たという記憶は、大学の卒業制作展に両親と行って以来でしょうか。そのとき、妹は本棚にサンドイッチを敷き詰めたという作品を展示していました。本棚にサンドイッチです。両親と一緒にこの作品の前に佇んで言葉を失ったことを覚えています。どうだと言わんばかりの妹の隣で。それ以外では、最近、お寺の境内を借りての作品展にて、黒く使い古された廊下に、真っ白な三角のおにぎりを並べたという写真をfacebookで観たこともあります。だから、今回も、食パンを重ねて置いてあるオブジェを遠目から観た瞬間、ああ、これが妹のつくったやつだなとすぐわかりました。


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 僕は芸術家ではないし、評論家でもないので、この作品に如何様な意見を持ったかは言及しません。が、妹が「これだけたくさんパンを買っても、まだパン屋さんにはパンがあるんだよ」といった感想を述べたことに興味を惹かれました。


 というのも、僕もふと思うことがあるのです。世の中には、有名ハンバーガー・ショップや激安焼肉屋さんや老舗のトンカツ屋さん、行列のできる唐揚げ屋さんが溢れかえり、昼も夜も多くの客が訪れ、現金やクーポン券を使って肉を食っていきます。しゃぶしゃぶの食べ放題などでは、頼んでもないのに肉がテーブルに運ばれて消費されていきます。そして、その何割かは、食べられずに残され、なんの躊躇もなく廃棄されます。それでも肉はなくならないのです。どれだけ肉があるんだよ。牛や豚ってどれだけいるんだよ、そんでどれだけ食われてるんだよ、とその幾何学的な肉の物質量に疑問を持つことがあります。


 妹の卒業制作、先の本棚にサンドイッチの作品には、「飽食」のなんとかというタイトルがつけられていました。解説もあって、何度か読んでいるのですが、内容が宇宙過ぎてよくわかりません。ただ、「飽食」というキーワードだけは、しっかり覚えています。


 僕らは言うまでもなく飽食時代に生きていますが、それが当たり前すぎて意識することはありません。しかし、その食材がシンプルに作品となって目の前に飛び出てくると、インパクトを受けてしまいます。具体的には、食べ物をこんなことに使うなとというような、ありふれた意見を誰もが持つでしょう。しかし、じゃあ僕らは普段の、ごくごく日常的な食事の中で食べ物を粗末にしていないと言い切れるのか、と考えを巡らせることに意味があるように思います。飽食は、無駄から気づくものなのかなと。そして究極の無駄というのが芸術であり、その芸術というものが僕らに還元する小さなメッセージを、見逃してはならないような気がします。