ダウンタウンと浜ちゃんの影響

◆ダウンタウン浜田雅功が成し遂げた、「ツッコミの地位向上」という大偉業 - ネタりか


 1月3日、ダウンタウンの浜田雅功と、彼の息子でミュージシャンのハマ・オカモトがラジオ番組で初めての親子共演を果たした。ロックバンド・OKAMOTO’Sのベーシストで浜田の実子であるハマ・オカモトが、自身がパーソナリティーを務める『RADIPEDIA』(J-WAVE)のゲストとして父親である浜田を招いたことから“世紀の親子対談”が実現。実の親子らしい親しみにあふれたトークが展開された。それぞれが普段見せていない一面を明かした貴重な番組として、お笑いファン、音楽ファンの間でも大反響を巻き起こした。

 昨年、結成30周年を迎えたダウンタウン。そのツッコミ担当である浜田の芸人としての功績については、今さら語るまでもないだろう。89年に東京進出して以来、ダウンタウンの一員として、あるいは司会者として、テレビの第一線をひた走り、数々の伝説を築いてきた。


 いつの頃からか――、おそらく20代の中盤あたりからだと思いますが、必要以上にダウンタウンを追っかけなくなりました。もちろん「追っかけ」といっても、テレビ局の出待ちとかそういうのではなく、テレビ番組のチェックということです。まあ、年を取ると、特定の「笑い」を求めなくなるのかもしれません。でも、それまでに僕がダウンタウンから受けた影響はとてもとても大きなものでした。


 一番最初は小学校6年生くらいの頃で、夢で逢えたらという深夜のバラエティ番組。友人からおもしろいよとしつこく薦められ、とりあえず土曜日の23時半という時間まで起きて、観てみました。すると想像してた以上のおもしろさで、以来すべての放送をビデオに予約録画したくらいです。番組終了までビデオ10本分くらい溜まったでしょうか。それを何度も何度も観返しては、同じような場面で何度も何度も笑い転げていました(東京に出て行って、このテープを友人に貸しているうちに、ほとんどがどこかにいってなくなってしまったのですが)。そして僕が観はじめた当時のこの番組のオープニング曲がユニコーンの「働く男」で、そこから僕のユニコーン・ファンもはじまります。ちなみに僕の中学の頃の勉強ルーティンというのは、週に1回だけ、土曜の夜20時か21時頃からはじめて、ねるとん紅鯨団夢で逢えたらがはじまるまでの2~3時間の間に、1週間分の復習をまとめてするというものでした。部活があるうちは、このルールを100%貫き通しました。この番組が、中学時代の僕の生活サイクルの中心にあったことは間違いありません。


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 そして僕はダウンタウンの浜ちゃんに憧れるようになりました。理由はわかりませんが、この人の立ち位置ってものが、かっこいいなと思えたのです。ツッコミというより、番組のMC的なポジションでしょうか。


 で、先日、浜ちゃんの息子が音楽をやっていて、とあるバンドのベースを弾いているといったニュースが出ていました。その記事を読んで、「芸能人の息子なんだからヴォーカルとか派手なことやればいいのに。なんでベースなんて地味なパートなんだよ」とまず思いました。そして読み進めるうちに、両親がベースをプレゼントしたとも書かれていましたが、普通楽器プレゼントするならギターだろ、と。なんでベースなんだろうなと疑問に思いつつそのニュース・ページを閉じました。


 そしてしばらくして、ふっと気づいたのですが、「あ、ベースだったは、親父の影響か」と気がつきました。言われてみれば、僕がベースをはじめたのも浜ちゃんの影響だったわけです。すっかり忘れていたのですが。


 夢で逢えたらのレギュラー・コーナーに「バッハ・スタジオ2」というものがありました。とあるバンドをゲストで呼び、ダウンタウンやウッチャンナンチャンが、そのバンドの楽曲を演奏するというコーナーです。そこで浜ちゃんはベースを担当していたのです。だから僕もベースを弾いてみたいと思うようになったのです。夢で逢えたらを観るようになって、浜田雅功という人間、キャラ、ツッコミ、ベースというものが僕の価値観の核の部分となったのです。もちろんそれらが、その後の僕のキャラクターに大きくトレースされています。


 最近は、めっきりダウンタウンにも興味がなくなりましたが、こういったことを思い出すと、またちゃんと観てみようかなと思ってしまいます。何かを思い出すような気もするので。