牛を食べる教育、牛に食べられる教育

 だいぶ昔にテレビの特番か何かで見かけた話です。


 藤子不二雄の作品を取り上げており、マニアックな作品ですが「ミノタウロスの皿」という短編を紹介していました。ちなみに僕もこの作品のことは、このときはじめて知りました。


 僕の記憶の中だけでのあらすじを書いてみます。地球ではないどこか他所の星に迷い込んでしまった主人公が、そこで1人の人間の美少女に出逢います。ああ良かった人間がいるぞと主人公は安堵するのですが、実はこの星というのは、人間ではなく牛が支配している星。牛の家畜として人間が飼われているといった妙な星なのでした。どうして人間が牛なんかに従わなければいけないんだと疑問を感じながら生活していると、少女は牛の王様の生贄になることが決まるのです。生きたまま皿の上に乗せられて食べられるということです。当然、主人公は「人間が牛に食べられるなんて、おかしい」と主張し、生贄役を断り、そして逃げるよう、少女を説得します。しかし、この星で生まれ育った少女の意見は違います。生贄になることはこの上ない名誉であり、家族にとってもこんな誇らしいことはない。王様に食べられるなんて、生まれてきて良かったといったというほどの感激ぶりです。まるでミス・ユニバースにでも選ばれたかのように。主人公は、この女、狂ってるぞ、いや、この星において狂ってるのは僕の方なのか、という風にパニックになります。まあこのシーンがクライマックスでしょうか。


 しかし、そもそも現実世界で僕ら人間は牛を殺して食べているわけです。それなのに、人間が牛に食べられるという漫画の設定に、どうしてこんな嫌悪感とストレスを感じてしまうのか、といった部分が大いに考えさせられるストーリーでした。(細かな部分に違いがあるかもしれないので、気になる人は、きちんと検索して、あらすじや動画を確認してください)


 そして、この作品の紹介があったあと、ゲストの誰かが「この作品の鍵となっているのは、教育なんですね。小さい頃からどんな教育を受けているかで、世界というものは大きく変わりってきます」といったようなことを述べました。つまり、牛に食べれれることを名誉だという教育を受ければ、牛に食べられることが名誉となるわけです。僕はこのコメントを、すこぶる普遍的な力を持ったものとして受け止めました。教育によって世界の見え方は変わるのです。


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 具体的には、北朝鮮関連のニュースを見ると、たいていこの「ミノタウロスの皿」の話を思い出すのです。「あの国って妙ちくりんなことばっかしてるよな」というのは簡単ですが、その根底にあるのは、やはり教育。主体思想に基づく徹底した教育なのです。きちんと計算してつくられた価値観なのです。


 以上、これより先の話の展開ができないのですが、僕の「教育」というものに対する哲学のひとつでした。