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年賀状について

 年賀状についてつくづく考えてしまいます。


 というのも、結婚した年などは、見せびらかしたい欲があったのか、「年賀状ぐらいはしっかり出そう」と思っていたが、それも数年経つと、諸々準備したり管理したりするのが正直めんどくさく感じるようになってきました。次、子どもができたら、また見せびらかしたい欲が出てくるものと思われますが、それもまた数年で消えるのでしょう。


 と、そんな風に思っていたところに、以下のとある年賀状を見つけました。こういう年賀状をつくる発想力があったら、めんどくささなど感じず楽しいだろうなと。
◆妹にきた年賀状のセンスがよすぎ!これは12年後に流用させてもらわないと…


 そして上記ページに付属してあった年賀状も見て、ふと思うことがありました。僕も小学校くらいのときは、こんな風に無邪気に年賀状を楽しんでいたなと。
◆弟宛に届いていた年賀状を見てかれこれ30分笑ってる


 小学校の頃は年末年始は友だちの家に遊びくことがなんとなく禁止されており、家族と過ごし、そして親戚の家をまわることが暗黙の了解となっていました。しかし、子どもにとっては、家族や親戚などの大人の集まりなんてものは、おもしろくもなんともないものです。だから、どことなく「家」という枠のなかに閉じ込められている窮屈さを感じていました。おせち料理だって美味しいと思えるものはひとつもないし(今でもそうなんですが)、親戚の家に行けば、ファミコンをしたり漫画を読むこともできず、かといってテレビもつまらない。当時は箱根駅伝にしても、そもそも石川には縁もゆかりもない東京の学校の人間が走ってることに、なんのおもしろさも見いだせませんでした。お年玉というビッグ・イベントものもありましたが、もらったハナから親に回収されるので、あまり手応えのあるものではなかったのです。


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 そんななか、クラスの友だちから届く年賀状というのは唯一といっていいほどの、お正月に楽しめるイベントだったわけです。外の世界と繋がることができるラインのようなもの。そこには、誰かが思いつき描いたヘビの絵なんかがあるだけですが、それだけでも充分な息継ぎの場となっていました。そして、両親に届く年賀状を盗み見て、「そっけないおもしろくもなんともないものだな。こんなのもらって嬉しいのかな」と疑問に思っていたことを思い出しました。まあ、年をとるにつれて年賀状に工夫を凝らすことが減り、そっけないものに近づいていくわけですが。


 文化、習わしと言ってしまえばそれまでですが、年賀状ってなんなのかなと。子どもの楽しみなのか、大人の礼儀なのか、結婚や出産の見せびらかしなのか……。一生結論出なさそうですが、これからもこの風習に付き合っていこうと思います。