今年やり残してしまったこと

 去年の似たような時期のエントリーを見たら、「今年やり残していまったこと」という投稿をしていたので、今年もまとめてみる。


f:id:junichi13:20080630100406j:plain

今年やり残してしまったこと、その一。相変わらず英語

 いつになったら本格的に取り組むのだろうか。多分、暴力的な強制力がない限り進めないような気もしてきた。でも、どうにかして最低限の読解力、会話力くらいつけたい。こうやって言い続けることで自分へもプレッシャーかけ続けたい。


今年やり残してしまったこと、その二。遺書

 ふと思いついたことで、35歳から5年毎に「遺書」でも書こうかなと。もし、明日死ぬとしたらどんな遺書を残すのか。そしてそれを40歳になったときに見返して、40歳の自分はどう感じるのか。そして45歳では……、50歳では……。というのを5の倍数年の誕生日に書こうとか思っていたのだが、ずばり書いてない。せめて、今年じゅうに書き上げておかねば……。


今年やり残してしまったこと、その三。投資

 今年というより、去年からはじめた投資信託なのだが、まったく放置。はじめてみれば、それなりに勉強もするだろうし、詳しくもなるだとうとの皮算用だったが、どちらかというとはじめた頃の方が知識を得ようとする意欲があった。今は冷め切っている。とはいえ、こまめにチェックして増資するといった短期の運用ではなく、5年10年に渡っての長期運用ではじめたものなので、放置だからといっていけないわけではないが、もう少し踏み込んでみても良かったと思っている。



 とまあ、3つばかし思いついたのだが、それとは別に思い出したことがある。「人は、2週間やらず放置したことは一生やらない」みたいな話を聞いて、ひどく納得したことだ。あ~、やらなきゃなぁと思いつつ2週間も経ってしまうというのは、所詮その程度の優先順位なわけだ。2週間という時間があれば、必ず時間的にも精神的にも余裕があったはずである。それでもやらなかったということは、一生待っても、その出番はやってこないに決っている。で、先に挙げた3つに関しては、2週間どころか、1年間やろうやろうと思いつつも放置してきた事柄なわけで、まあおそらくこのままなかったこと、思いつかなかったこととして闇に葬られるのだろう。残念ながら。こういった思い返しは、するだけ無駄なのかもしれない。