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ガラスを割ったら、何が出てくるか?

 前回の「文句を言う」という話を書いて思い出したこと。2002年、日本と韓国で開催されたのサッカー・ワールドカップ時の話です。


 当時、日本ではじめて開催されるワールドカップという華々しい表舞台のすぐ脇で、多くのチケットが販売されていない、用意されていないということが問題となっていました。確かにテレビで観るスタンドには、いたるところで空席が目立ちます。当時のチケット代理店の不手際だと報道されていました。その一方で、我らが日本代表は調子良く勝ち点を重ねているので、気づけば猫も杓子もサッカーに熱狂するような毎日になっています。僕も実家の母親から「私が昔から応援してた稲本君のユニフォームを早く買って送ってちょうだい。東京ならどこかで売ってるでしょ」というメールがくるほどです。しかし母親とサッカーの話をするのは、このときがはじめてでした。


 大多数の日本国民がこんな調子なので、きのうはまではサッカーなんぞにまったく興味の無かった人間までもが、「なに? 自国でワールドカップがあるのにチケットがないだと! こんな恥ずかしいことあってなるものか!」と、チケットが手に入らないことを、真面目に問題視し、もっともらしい顔で議論し、結果腹を立てるようになっていたのです。


 そしてついには、どこかのチケット販売所で「チケットを出せ!」とプチ暴動のようなものが起き、販売所の入り口のガラスが割られたという事故まで起きました。僕もその頃は、青かったので、確かにこのチケット問題はけしからん、もっと暴れてやれよ、ぐらいに思っていました。


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 そのニュースがあったその日、当時通っていた専門学校の授業があり、授業中に先生が余談でこの話題を持ち出しました。「ガラス割った奴いたよね。チケットがないとか言って」と。その先生は、学生時代サッカーをやっていたと聞いていたので、チケットを用意できない代理店側を非難すると思ったのですが、まったく違った意見でした。「バカだよね。まあ若い奴がやったんだろうけど、ガラス割ったってチケット手に入るわけでもないのにさ。そんなこともわかんないのかな。そもそもチケットがないって言ってるから、販売店に押しかけたってないものはないのにさ。そこにあったら売ってるって」。ごもっとも。


 このとき僕は「文句を言ったところで何も変わらなければ意味がない」ということを学びました。一時的な感情ほど、非建設的なものはないと。この見方ができるようになってからは、何かと文句ばかり言っている人というのは、たいてい場違いの所で血気盛んになっているだけで、何も「次」を生み出さないことを主張していることが多いような気がしています。文句やクレームだって、しかるべき意図があって、しかるべき場所とタイミングが必要なのです。まあ、文句だけじゃなくて、すべての発言がそうなのかもしれませんが。そういうこともあって、僕はあまり文句を言わないようにしています。