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写真の移り変わり

 ふと昔の手帳を開いて眺めていたら、こんなメモがありました。2008年3月11日のページです。

撮った写真をアルバムに貼らなくなった。
思い出が雑になってきた。


 僕が最後に写真を現像したのって、いつなのでしょうか。10年前の日韓サッカー・ワールドカップのときに撮った写真がアルバムに仕舞ってありますが、それ以後の写真というものはパッと思い浮かびません。10年くらい前から、僕の中での写真というものがデータ化していったのかもしれません。そして2008年の時点では、完全にデータでしか扱ってなかったのだと思います。


 事実、その頃僕は「フォト蔵」や「はてなフォトライフ」といった、ウェブ・アルバムを利用するようになり、撮った写真は無印良品で買ってきたアルバムではなく、これらの無料で使えるウェブ上で保管するようになっていました。今でも当時の写真を閲覧することができます。ネット上にあるので、家にいようが、職場にいようが、いつでもどこでも観ることができ、必要があればダウン・ロードできるので便利です。


 しかし、気づいてみると最近は、ウェブ・アルバムすらあまり利用していません。


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 理由は、写真というものの「重み」が変わってきたからではないでしょうか。iPhoneで撮ったちょっとした景色やスナップ写真は、その場でtwitterfacebookにアップ・ロードすることが多く、その写真をさらに改めて「はてなフォトライフ」にもアップするなんてことはあまりありません。もっとも、twitter用の写真なんてものは、とりあえず「様子」だけ伝わればいいやという絵なので、きちっと構えて、構造や光加減を考えて撮ったものなどほとんどないわけです。完全なる使い捨ての写真。また、仕事上の打ち合わせなどでホワイトボードに書かれた内容を写真に撮ることもありますが、これはもう写真というよりメモみたいなものだし、気軽にウェブ上に保管することもできません。いずれにせよ、こういったスタンスで写真を撮ることが多くなったため、わざわざ一箇所にまとめてアーカイブすることもなくなってきました。


 自分が撮った「写真」というもののありがたみが、10年前とはだいぶ変わってしまってることに気づきます。


 写真を撮る機会というのは格段に増えています。しかし、いわゆる「アルバムに仕舞っておく大事な写真」というものが、その他の多くの写真の中に埋もれて、見つけにくくなってしまっているわけです。そういう意味では、思い出がさらに雑になってきているように思えます。少し面倒でも、撮った写真というものは、細かく区分けして保存しておく必要があるのかもしれません。